久保裕也、スイスで語る。「シュートを打つなと言われたこともあった」 (4ページ目)
海外移籍への願望はもともと強かった。もちろん国内では突出した存在だったから海外でのプレーを望むのは自然なことだが、単にプレーしたいというだけではなかった。
「海外への移籍は早ければ早い方がいい、なんとなく20歳までに、とは思っていました。当時は好奇心も勢いもあったし、いろいろな言葉を話してみたかったから、そういう意味でも早く外に出たかった」
望んだ環境は手に入れた。だが、内面はそう簡単に変わるわけではない。「自分の性格がオープンじゃないから苦労してますけどね」と、笑った。
ベルンという日本人の少ない街での暮らしにももう慣れた。日本食が食べたくなれば自分で作ることもできる。
「クックパッドを見ながらですけどね。生姜焼きが食べたければ自分で作ればいい」
海外では生姜焼き用の肉を手に入れることは難しいが、「薄切り肉が欲しければ自分で薄く切ればいいし、別に肉なんて厚くたって薄くたって生姜焼きは生姜焼き」と、なかなか図太い。
自己分析は「良く言えばあまりいろいろと気にしない方。まあ、大雑把で適当」。だからこそ、日本人コミュニティから離れた場所で、自分らしく暮らせているのかもしれない。
(続く)
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