会長続投で証明。「バルサの父」クライフの影響力低下 (4ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper  森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 しかし2010年にサンドロ・ロセイがバルセロナの会長になると、クライフの影響力に陰りが見えはじめた。ロセイはクライフがたくさん抱える敵のひとりだった。クライフは非常に気むずかしい人物で、物事が自分の思いどおりに運ばないと気がすまない。とくに金がからむと厄介だ。

 僕がなぜそこまで言えるかというと、2000年にクライフを怒らせたことがあるからだ(長くなるうえに、あまり愉快な話ではない)。クライフの多くの敵と同じく、僕は彼が影響力を持つメディアで痛烈に批判された。オランダ最大の新聞デ・テレフラーフと、オランダ最大のフットボール雑誌フットボール・インターナショナルだ。

 そのクライフもロセイには勝てなかった。ロセイが会長の座にいた間、クライフはバルセロナの本拠地であるカンプ・ノウに足を踏み入れなかった。昨年、ネイマールの移籍をめぐる脱税疑惑がもとで、ロセイは辞任した。だが、彼の腹心だったジョゼップ・マリア・バルトメウが後を継いだ。

 今年1月、僕はバルトメウにインタビューしたとき、バルサは精神面での「父」とよりを戻すことはないのかと尋ねた。バルトメウは言った。「ヨハン・クライフはアヤックスやバルセロナの会長といった地位にいるべき人物ではない。彼がいるべきなのは......」と言って、バルトメウは手を高く挙げた。「もっと上の地位だ。もちろん、私が彼にポストを用意したい」

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