早熟の天才セードルフ。こんな変わり者に監督をやらせるのはミランしかない

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 やがてセードルフは、オランダで史上最も早熟なフットボール選手となる。彼のキャリアの進み方は、あのヨハン・クライフをもしのいでいた。

 セードルフはどのポジションでもプレイできた。走り、パスを出し、タックルをし、ゲームを読んだ。「まずアヤックスに入って、それから代表。次がイタリア」と彼が宣言したのは、確か15歳のときだ。19歳でセリエAのサンプドリアに入り、セードルフはこの約束を果たした。

 ただし、気になる兆候も現われていた。16歳でアヤックスのトップチームにいたとき、セードルフはロッカールームで「おじいちゃん」と呼ばれていた。規律や責任について、やたらと話したがるためだ。セードルフはフットボールそのものより、人と意見を交わすことが好きだった。

 セードルフは誰にでも遠慮なく議論を挑む。95年のチャンピオンズリーグ決勝では、アヤックスの一員としてミランと戦ってタイトルを獲得したが、セードルフは途中交替させられていた。このとき彼はまだ試合中だというのに、監督のルイス・ファン・ハールに交替の理由を問いただした。控えのGKが止めに入ると、もともと温厚なセードルフはひとまず話をやめたと、ズワルトクロイスは書いている。

 22歳のとき、今度はレアル・マドリードの一員として2度目のチャンピオンズリーグ制覇を果たす。MFとしてのセードルフの実力は疑いようもなかったが、レアルは最初から彼に手を焼いていた。親切で知的な選手ではあるものの、どこか周囲を煙たがらせる。

 99年にレアルに移籍したイングランド人FWのスティーブ・マクマナマンは、僕にこんな話をしてくれた。移籍直後にレアルの食堂でランチを食べていたとき、マクマナマンは同じテーブルに座っている選手たちがみんなスペイン語を話していることに気づいた。「この調子じゃ、(契約年数の)5年間は大変なことになるぞ」と、マクマナマンは思った。すると、セードルフがマクマナマンに声をかけてきた。セードルフはマクマナマンを車に乗せてマドリードの街を案内し、いろいろなことを彼に教えた。

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