なぜこれほど多くのサッカー本が出版されるようになったのか

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

 気がつけば今は、フットボール選手の回顧録があふれている。これには経済面から説明ができるだろう。フットボール界の人々はとてもリッチになったので、もうゴーストライターが片手間に書いたような本を金のために出版する必要がなくなった。伝えたいことがあるなら、もっと質の高い本を書けばいい。マンチェスター・ユナイテッドの監督を勇退したアレックス・ファーガソンは1999年に初の回顧録を出版したときに25万語を手書きでしたため、最近になって2冊目の回顧録を出版した。

 デニス・ベルカンプはアーティストが書いたような『スティルネス・アンド・スピード(静かさとスピード)』という本を出版した。ズラタン・イブラヒモビッチの回顧録『I AM ZLATAN』(邦訳・東邦出版)はスウェーデンに住む移民についてのすばらしい物語で、ヨーロッパで100万部以上が売れた。2013年の「ウィリアム・ヒル・スポーツ・ブック賞」にもノミネートされたが、受賞は逃した。

 ウィリアム・ヒル賞の審査員たちも誤りを犯すことはある。2000年のこの賞は、ランス・アームストロングが自転車ロードレース選手としてのキャリアを回顧した『ただマイヨ・ジョーヌのためでなく』(邦訳・講談社文庫)に与えられた。後にアームストロングのキャリアがドーピングで汚れていたことが明らかになると、彼は7度に及ぶツール・ド・フランスのタイトルをはく奪された。しかし今のところ、アームストロングはウィリアム・ヒル賞を取り上げられていない。

 ニック・ホーンビィの足元にも及ばない書き手がウィリアム・ヒル賞を受賞した例はほかにもあるだろう。しかし僕自身は、審査員の間違いに感謝している。1993年、僕はタイプライターを抱えてロンドンに戻った。1年後、僕の本『サッカーの敵』(邦訳・白水社)はウィリアム・ヒル賞にノミネートされた。

 そのとき僕はヘイスティングズという田舎町で、フィナンシャル・タイムズ紙の研修にあたるジャーナリズムの基礎コースを週給150ポンド(当時のレートで約2万5000円)をもらって受けていた(まったくひどいコースだった)。僕は講師たちに、書店のスポーツ・ページズで開かれる授賞式に出席するため、1日だけ休みをくれるよう頼んだ。彼らはしぶしぶ認めてくれた。

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