なぜこれほど多くのサッカー本が出版されるようになったのか (2ページ目)

  • サイモン・クーパー●文 text by Simon Kuper
  • 森田浩之●訳 translation by Morita Hiroyuki

――一部のメディアがスタジアム問題をしつこく言い立てているが、ノームは無視している。ビリーは力の差を感じはじめる。これでは大企業のCEOと男性小便器が対立しているようなもので、CEOは小便器のことを知り尽くしているから、小便器は彼の勢いのある『放水』でいっぱいになっている。ノームの仕事はカウボーイズのブランド価値を最大限に高めることであり、メディアの仕事は彼が流したいものをひとしずくも残さず受け止めることだ――

 実際、メディアは受け止めてしまっている。たとえば2012年の欧州選手権のとき、イングランド代表監督ロイ・ホジソンとキャプテンのスティーブン・ジェラードがウクライナのドネツクで記者会見を行なった。イギリスのメディアに経済的余裕がない今の時期に、数百人の記者がヨーロッパの端っこまでやって来て、ふたりの男がほとんど中身のないことを30分間も話しているのを聞いていた。

 翌日の夜、僕たちはマッチリポートを書いた。この手の記事は試合を見られるファンがほとんどいない時代には価値があった。戦争前にラジオアナウンサーをやっていたロナルド・レーガン(後のアメリカ大統領)が、本当はアイオワ州のラジオ局のスタジオにいたのに、シカゴにいるふりをしてカブスの試合を「実況」していたことがある(彼は電報で入ってくる情報をもとにしゃべっていた)。そのときのレーガンは、リスナーと試合を結びつける存在だった。

 しかし今は、どんな試合でもテレビで観戦することができる。もうマッチリポートにそれほどの意味はない。むしろ必要なのは、もっと深い部分を書いた文章だ。

 そしてついに、僕たちはアスリートの手によるスポーツ・ライティングを読めるようになった。クリケット選手(大半は「中流の上」の出身だ)は、いつもすばらしい回顧録を書く。しかしフットボール選手は労働者階級の出身者が多いから、ほとんど本を出すことがなかった。20年前にある出版関係者に聞いた話だが、当時のイングランド代表キャプテン、デイビッド・プラットの回顧録の企画を、彼はボツにしたという。売れても3000部くらいだし、何しろ中身が退屈だったという。

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