川島永嗣、14年ぶりの日本は川口能活コーチの存在が刺激「これを求めてジュビロに来た」 (2ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke

【これは魅力的な挑戦になる】

── もともと、いつかは再びJリーグでプレーしたいという思いはあったのでしょうか。

「僕はありましたよ」

── あったんですね。

「やっぱり現役の最後は、日本に戻ってプレーしたいという思いはありました。でも、性格的に常に挑戦していたいタイプなので、可能性があるかぎり海外でのプレーを視野に入れていました。

 そのなかで自分が今後、どういったサッカー人生を歩んでいくのかを考えた時、過去2年間、ストラスブールではほとんど出場機会を得られなかったこと。しかも、最後の1年間はケガもあり、100パーセントのコンディションでプレーできなかったこと。また、自分自身、試合に出たいという気持ちを強く持っていました。

 そうしたことも含めて、今後、自分がどういった環境でサッカーを続けていくのが望ましいのかを考えていたタイミングで、ジュビロ磐田から話をいただいて。クラブの状況や目標、考え方についても話を聞き、自分のなかで一番、納得できたというか、自分の次の挑戦先として、最もしっくりきたのがジュビロでした」

── ジュビロへの加入を決めるにあたって、決め手となったのは?

「(藤田)俊哉さん(スポーツダイレクター)、横さん(横内昭展監督)、(川口)能活さん(GKコーチ)の存在は大きかったですね。まず、ジュビロについてパッと考えた時、日本代表でも指導を受けていたので、監督がやろうとしているサッカーを理解できていたのは大きかった。

 また、自分以上に経験のあるGKコーチに見てもらえるというのも、自分がさらに高みを目指すうえでは大きかったですね。俊哉さんとは、今後のクラブのビジョンについても話を聞き、その考え方に共感し、これは自分にとって魅力的な挑戦になるな、と」

── 何度も挑戦という言葉を口にしているように、ジュビロがJ2からJ1に復帰し、クラブとして新たな挑戦に踏み出すタイミングが重なったことも決め手に?

「間違いないですね。ジュビロは今、クラブとして新たな時代を築こうと挑戦しているタイミング。また、年齢の若い選手たちは、今後のジュビロを大きく変えていかなければならない存在でもあると思っています。そうした時期に自分がチームに関われるのは、ただプレーするだけではなく、興味深いことでもあり、そこもやり甲斐や楽しみでもありました」

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