久保建英がスペインで飛躍できた素養とは? 「久保クンから久保になった」FC東京時代 (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki

【「キャンプから別人のようだった」】

 2018年シーズンの久保は「才能のある若手」のひとりにすぎなかった。横浜F・マリノスへ期限付き移籍直後、そのデビュー戦となったヴィッセル神戸戦では、ゴールを決め、天運の持ち主であることを証明した。しかし得点以外はほぼ流れから消え、ひ弱さも目立っていた。以後、ユース年代の活動が主となって、J1出場時間は(FC東京での試合も含め)、わずか218分だったのである。

 しかし、2019年にはチーム始動から人が変わった雰囲気があった。

「マリノスのレンタルから戻って来て、プレシーズンのキャンプから別人のようでした」

 FC東京のチームメイトたちもそう洩らしていた。

 実際、久保は開幕以来、日の出の勢いだった。自身の活躍だけでなく、チームを勝たせる力も持っていた。たった数試合でチームリーダーになったのだ。

「少なくとも、オランダに移籍する前の堂安律に匹敵する」

 開幕第2節の川崎フロンターレ戦後の段階で、当時、FC東京を率いていた長谷川健太監督も語っていた。

 久保は守備でも強度の高いプレスを見せ、リトリートでは完璧にフタをし、カウンターでは力強く持ち運んでいた。もはや天分だけではない、プレーヤーとしての強度が急速に上がっていた。

「"久保クン"から久保になった」

 そのシーズン、何人かのJリーガーが呆気にとられたようにそう洩らしている。どこか侮っていた存在を、「本物だ」と畏怖し始めていたのだ。

「キャンプ前から肉体を改造していた」
「横浜に移籍し、苦難も経て精神的に強くなった」
「もともと、いい選手だった」

 チーム関係者からは、いくつも変化の理由が漏れ聞こえてきた。どれも理屈は合っていたが、その変身ぶりは想像を超えていた。

 久保が"ギフテッド"だったことは間違いない。ドリブルからの仕掛け、シュートセンス、スモールスペースを支配するパスコンビネーション、どれも天才性が匂っていた。ただ、ひとりの選手としてそれらがつながっていなかった。ボールを持っていない時間や五分五分のボールを争う場面などで劣り、才能は分断されていた。

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