田中順也のポルトガル時代「こんなに運がいいことがあるのか」→「お荷物みたいに扱われ」→悩んだ末に「あの時、夢を諦めた」 (2ページ目)

  • 浅田真樹●取材・文 text by Asada Masaki

 よし、来シーズンはもっとチームにフィットして10点取ろう。弱気になっちゃダメだ――。田中は1年目のシーズンを終え、そんな思いを強くしていた。

 ところが、である。

 信頼していたマルコ・シルバは、オフに監督を退任。2年目のシーズンを前にリスボンのライバルクラブ、ベンフィカからジョルジュ・ジェズスが新監督としてやってきたことで、田中を取り巻く環境は「ガラッと変わってしまいました」。

 レギュラーポジションをつかむどころか、紅白戦にすら出させてもらえない。「下手したら、(下部リーグに所属する)チームBに回されるくらいの、もうお荷物みたいな感じで扱われていました」。

 それでも、指揮官の目をこちらに向けさせるべく、田中は必死で食らいついた。

 たまに巡ってくる出場機会で優れたパフォーマンスを発揮しても、次の試合では何事もなかったように再びメンバー外。「謎の外され方をするので、その労力はすごく大変だった(苦笑)」が、田中は少しずつ上り坂を這い上がっていく。少なくとも、そのための努力だけは怠らなかった。

 すると、ジョルジュ・ジェズスはミーティングでこう言い放ったという。

 タナカはこんなに成長しているんだぞ。おまえらももっとやれるだろ!――。

「『じゃあ、オレを使えよ』と思いますよね。そういうことがあって、もうこの監督の下にいる限りダメだろうなって思いました」

 振り返れば、ポルトガルへ渡ると決めた1年前、自分が韓国でキャンプを行なっている間にも、地球の裏側ではワールドカップの激闘が繰り広げられようとしていた。その場にいられない自分に、「当時は悔しさがありました」。

「自分はゴールもアシストもできるっていうのが武器で、運動量もあった。それに、自分のなかでは"勝ちグセ"みたいなものがあったので、自分がいたほうがチームを勝たせられるっていう自信がすごくあって、だから、(日本)代表にも入りたかったんですけど......」

 だがその一方で、「調子のいい選手が本当にたくさんいて、(大久保)嘉人さん、柿谷(曜一朗)、大迫(勇也)と、(ワールドカップメンバーに選ばれたFWは)みんな僕よりもゴール数が多かった」ことも理解していた。

 ちょうど2013年~2014年は自身のキャリアにおいて最も調子がよかったが、「何年も前からずっと活躍している人たちがたくさんいたので、そういう人たちが代表に入るほうがいいのかなとも思っていた。自分はアピールが足りなかった」とは、田中の述懐である。

「だから、(2018年ワールドカップへ向けて)本当はスポルティングでもっと試合に出て、チャンピオンズリーグにも出て、代表に定着するのが最大目標でしたけど、そこは難しかったですね」

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