「サッカーどころではなくて喧嘩のよう」「私のレフェリングがダメだった」元レフェリー・村上伸次が審判目線で語る思い出に残る3試合 (3ページ目)

  • 篠 幸彦●取材・文 text by Shino Yukihiko

【苦い思い出で記憶に残っている】

2004年9月26日/J2第36節 
水戸ホーリーホック 1-2 川崎フロンターレ

 3つ目は2004年のJ2第36節、水戸ホーリーホック対川崎フロンターレ。当時の川崎はダントツに強くて、明らかにJ2レベルのチームではない感じでした。試合前の段階で川崎は勝ち点84、水戸は勝ち点29。圧倒的な差がありました。

 この頃のJ2は第4クールまであって、12チームが4回戦総当たりという試合数をこなしていました。ただ、まだ9月だというのに川崎はこの試合に勝てば昇格が決まり、優勝もほぼ確定の状況でした。

 一方で私の状況は、この年からJ2の主審を担当するようになって、つまり主審として初年度だったわけです。そんなレフェリーに通常は川崎絡みのカードが任されることはなく、ベテランの方が担当するという感じだったんです。それがなぜか私に任されたんですよね。

 水曜日ナイターの試合で、会場はケーズデンキスタジアム水戸ができる前なので、まだ笠松運動公園陸上競技場。そこに観客が3751人。その3分の2が川崎のサポーターで、笠松なのに川崎のホームのような異様な雰囲気でした。

 そんななかで水戸は、目の前で昇格のお祝いなんてさせるかと燃えていました。対して川崎はちょっと油断していたところもあったと思います。普通にやれば勝てるとリラックスムードもどこか漂っていました。

 前半は川崎のマルクス選手が先制して1-0でしたけど、後半2分になると関隆倫選手のゴールで同点に追いついたんですよ。そこからはもう試合の温度が一気にヒートアップしちゃったんです。

 水戸の選手たちが川崎のエースのジュニーニョ選手を削りまくって、ファールを取るんですけどまったく収まらない。本当はカードを出してもいい場面が3シーンくらいあったんですけど、1枚しかイエローカードを出してないんですよね。

 その1枚が後半18分の水戸の小椋祥平選手へのものでした。そこからはもうサッカーどころではなくて、喧嘩のようになってしまいました。ベンチも「ファールだろう!」という声が飛び交って、まったく収拾がつかなくなりました。

 その後、後半26分にマルクス選手が2点目となるFKを決めて川崎の勝利で試合が終わりました。

 川崎のサポーターは昇格が決まって喜んでいたんですけど、ジュニーニョ選手が水戸の選手たちに掴みかかる勢いで激怒していて、喧嘩になりそうになってしまったんです。

 本当に自分のフェレリングの未熟さを痛感した試合でしたね。試合後に映像分析をすると、やっぱりファールを取りきれていなかったし、ファールを取っているけどカードが出せなかった。そういうことも含めてマネージメントができていなくて、課題がたくさん出てきました。

 今であればもっとうまくイエローカードを使って、選手を抑えながらマネージメントできますけど、当時はそういった術をなにもわかっていなかったんですね。私のレフェリングがダメだったちょっと苦い思い出という意味で、記憶に残っている試合でした。

後編「元審判・村上伸次さんが語る、忘れられない3試合」につづく>>

村上伸次 
むらかみ・のぶつぐ/1969年5月11日生まれ。東京都目黒区出身。帝京高校-立正大学と進み、JFLの西濃運輸でプレーしたのち、28歳からレフェリーの道へ。2004年からJリーグの主審として活動。2008年からスペシャルレフェリー(現プロフェッショナルレフェリー/PR)となった。2021年10月のヴィッセル神戸対アビスパ福岡戦で、Jリーグ通算500試合出場を達成。この年を最後に㏚を引退し、現在は後進の指導にあたっている。

プロフィール

  • 篠 幸彦

    篠 幸彦 (しの・ゆきひこ)

    1984年、東京都生まれ。編集プロダクションを経て、実用系出版社に勤務。技術論や対談集、サッカービジネスといった多彩なスポーツ系の書籍編集を担当。2011年よりフリーランスとなり、サッカー専門誌、WEB媒体への寄稿や多数の単行本の構成を担当。著書には『長友佑都の折れないこころ』(ぱる出版)、『100問の"実戦ドリル"でサッカーiQが高まる』『高校サッカーは頭脳が9割』『弱小校のチカラを引き出す』(東邦出版)がある。

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