セレッソ大阪一筋15年 GKキム・ジンヒョンが日本語習得で最初に戸惑った関西弁は? (2ページ目)

  • 吉崎エイジーニョ●取材・文 text by Yoshizaki Eijinho

【若い頃の日本選手の印象「自由だし、かっこいい」】

 幼き日のキム・ジンヒョンは、セレッソ大阪というクラブが「かつて韓国人の超大物プレーヤーが所属したクラブ」という事実をまったく知らなかった。1987年生まれの自身が10歳だった1997年から高正云(コ・ジョンウン)、黄洪善(ファン・ソンホン)、尹晶煥(ユン・ジョンファン)、河錫舟(ハ・ソッチュ)、盧廷潤(ノ・ジョンユン)らが一時代を築き上げた。いずれも韓国代表でワールドカップでも活躍した選手ばかりだ。

「サッカーをやることは好きだったんですけど、観ることはあまりなかったんですよ。僕、1987年生まれですから1998年フランスW杯時は、小学5年生(11歳)で、すでにサッカーを始めていました。でもまったく関心がありませんでしたね。ワールドカップの記憶は2002年からで...」

 1997年9月28日には韓国で「東京大捷(大勝)」として語り継がれるフランスW杯アジア最終予選でのアウェー勝利もあった。しかし日本代表の山口素弘によるループシュートのあとの自国の劇的な逆転勝利の姿も「なんか、あとで話を聞いた程度」だという。

 それどころか、日本に関しても無関心。周囲の友人たちはアニメなどに関心を示したが、自身は「とにかく外で走り回るのが好き」なタイプだった。つまりは、自分のプレーにだけ夢中。日本に関する情報などは周りから聞くものばかりで、年代別代表に選ばれるなかで「ライバル関係がわかってきて、勝たないといけない」と考えはじめたというところだった。

 数少ない日本との直接的な縁で大きかったものは、10代の頃に一度、韓国U-18代表時代に日本に遠征で来たことだった。

「ユースの大会で新潟に行きました。街なかの雰囲気が韓国とはまったく違って新鮮だったのですが、より驚いたのが対戦した日本の若い選手たちの姿でした。髪の毛が長くて、染めている選手もいた。自由だし、かっこいいなと思いました。

 プレースタイルも細かくて、多彩で。韓国がスピードを重視し、よりダイナミックにプレーしたのに対し、日本はもっとパスを重視していましたね」

 その時に対戦した日本代表に「モリシがいたんですよ」。

 彼が「さん」づけをしないのは、それが元日本代表で現セレッソ大阪社長の森島寛晃ではなく、メディアやファンの間で「デカモリシ」とも言われた森島康仁のことだから。もちろんその時のキム・ジンヒョンはのちの日本、セレッソ大阪との縁など知る由もなかった。

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