鹿島アントラーズの低迷をジーコが分析 日本代表には「ワールドカップでコンスタントに結果を残せるチームに」 (2ページ目)

  • 宇都宮徹壱●司会・文 host & text by Utsunomiya Tetsuichi

村井 Jリーグはサッカーという、いちスポーツ競技の興行団体ではあるんですが、それこそ鹿島に起こったような変化を起こす力がサッカーにはある。サッカーによって街が変わり、そこで暮らす人々も生活も変わる。それくらいの影響力が、サッカーにあると思います。

 影響力ということでいえば、それこそ「ジーコ」という存在がそうですよね。Jリーグがバブルだった時代、お金儲けのために海外から来た選手や監督もいたかもしれない。けれどもジーコさんは、Jリーグが始まる2年前から日本に来ていて、今も鹿島だけでなく日本サッカー界に影響を与えているじゃないですか。これもまた、Jリーグができたから実現したことですよね。

ジーコ Jリーグ開幕時であればリネカー、最近でいえばイニエスタ(バルセロナ→ヴィッセル神戸→エミレーツ・クラブ)がそうですけれど、彼らは日本に来る前から世界的に有名な存在でした。けれども、そのイメージのまま日本でプレーすることに、私は賛成できません。日本に来たからには、日本の習慣や文化に順応する必要がありますし、日本のアイドルとして振る舞う必要があるというのが私の考えです。

── ジーコさんが日本という国にアジャストできたのは、もちろんご自身の努力もあったと思いますが、受け入れる側の姿勢も大事ですよね?

村井 それはありますよね。私はずっと人事畑にいた人間なので、どうしても人や組織を見てしまうんです。その視点から言えば、ジーコさんを支える存在としてフットボール面では鈴木満、ビジネス面では鈴木秀樹という、ふたりの鈴木さんの存在が大きかった。

 鹿島があれだけのタイトルを獲得できたのも、ジーコさんを中心とするトライアングルが強固であったからこそ「ジーコイズム」が発揮されてきたんだと思います。

ジーコ 村井さんのおっしゃるとおり、ブレない組織づくりは大事です。そして代替わりした時に、どう引き継いでいくかということも。私が個人的に意識していたことは、その国の文化にアジャストしていくこと、それから想像力とイニシアチブに加えて、皆から憧れるような選手を育てていくこと。それは鹿島でも、日本代表でも重視してきたことです。

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