浦和レッズの熱烈なサポーター村井満がジーコに質問「鹿島とのタイトル数の差は何?」 (4ページ目)

  • 宇都宮徹壱●司会・文 host & text by Utsunomiya Tetsuichi

 こうした選手たちが、1993年ファーストステージ優勝の原動力になったわけですが、もちろん即席でできたチームではありません。Jリーグ参入を目指して、私がJSL時代から作り上げてきたチームだったんです。

── これって、わりと見落とされている歴史ですよね。

村井 そうだよね。本田技研の話でいうと、埼玉県の狭山市に工場があったから、埼玉に移転してJクラブになるという話もあったんですよ。

── それも開幕前夜の秘話ですよね。「浦和ホンダウィンズ」という名前で、Jリーグに加盟する具体的な話もありましたから。結局、その話は立ち消えになりましたが、実現していたら今の浦和レッズはなかったわけですよ。

村井 本田が浦和に来るんだと思っていたのに、主要メンバーがごっそり鹿島に行って、ファーストステージで優勝するわけじゃないですか。一方、私が応援していた浦和は、しばらく最下位が定位置という時代が続きました。そうした、さまざまな偶然が重なって、今のJリーグにつながっている。とても面白い話ですよね。

【ジーコがファンサービスとチャリティを重視する理由】

── Jリーグでは地域密着の進化形として、25周年を迎えた2018年に「社会連携(シャレン!)」を打ち出していきます。シャレン!に重要なヒントを与えたのが、先ほどのお話にあった、ジーコさんのチャリティマッチだったんですよね?

村井 それこそ浦和の中華料理屋で、ジーコさんと食事をしていた時にチャリティマッチのことを知ったんです。それが2017年の話で、翌年のJリーグ25周年に向けて「地域密着という理念をJリーグは実現できているんだろうか」という自問自答が私のなかにありました。その答えを見つけようと、その年の12月にリオでのチャリティマッチを弾丸旅行で見に行ったんです。

── ジーコさんのチャリティマッチがスタートしたのは2004年から。参加者は1キログラムの食材をチケット代わりに持ち込んで、それらを貧しい家庭に配る形で始まったそうです。最初は小規模で始まったのが、今ではワールドカップ決勝が行なわれたマラカナン・スタジアムで開催されるまでになったんですよね?

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