引退発表の高原直泰 なぜ四半世紀もストライカーとしてピッチに立ち続けられたのか (2ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki
  • photo by AFLO

【不屈の闘志でゴールを決めた】

「日本のFWがこっち(海外)のFWと比べて、能力的に劣っていることはないですよ。たしかに多少はこっちのFWのほうがフィジカルは強い。けど、それは慣れれば日本人にもできる。それよりも、今までこう動けばこうと出ていたボールが、突然出てこなくなる。その辺をしっかり主張しなければならないし、その意味でのコミュニケーションの難しさはあって、偏見もあるから、(海外でのプレーは)そこをうまくやるかどうかなんですけど」

 高原がドイツで6シーズンも足跡を残せたのは、粘り強い闘争のおかげだったと言えるだろう。

 そもそも、高原には"困難に立ち向かう"力があった。たとえば2002年日韓W杯は、直前に肺動脈血栓塞栓症を患い、棒に振ることになったが、それも人生の糧にしていた。

「"自国開催のW杯はもう人生でないんだな"とは思いましたよ。メンバーから外れたことについては病気のこともあったし、冷静に受け止められましたけど。"W杯に出場してヨーロッパに行く"と自分なりにイメージを描いていたんで、それが崩れてしまって、何をしたらいいのか......。答えは、"Jリーグでストライカーとして爆発すること"でした。

 でも、復帰に向けてはコンタクトプレーができなくて。血液をさらさらにする治療をしていたから、たとえば打撲でも血が流れすぎて危ない。だから、ひたすら走って筋トレして、病気前よりもパワーアップして戻ってやると。それで最初のゴールをした時、自分の中で何か弾けて、おかげで(得点王となり)欧州移籍ができました。そういう形で代表から外れたからこそ、それをバネに頑張れたとも思っているんですよ」

 44歳まで現役を続けられたのも、きっと同じ理屈だろう。多くのクラブを渡り歩いたが、必ずシーズン中にゴールを決めている。不屈の闘志でゴールをすることで、踏みとどまってきたのだ。

――あなたにとって、ゴールとは?

 そう質問を投げた時、当時の彼はスラスラと答えてみせた。

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