「すごいと言われて天狗になって...」33歳になった柿谷曜一朗が10代を振り返って「逃げ出したくなった」本音を吐露 (3ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by ©TOKUSHIMA VORTIS

「そうですね。ただ、セレッソの時もそうですし、バーゼルに行った時もそう。名古屋の時もチームメイトにはすごく支えられましたね。名古屋では特に丸山(祐市)と武田(洋平)のふたりには助けられました。そういう経験もこの先につながっていくものなのかなと思っています」

── 徳島だからプレーする意欲が高まったと話していましたが、あらためて13年ぶりに復帰した徳島に対する想いを聞かせてください。

「自分が今、長くサッカー人生を歩めているのは、間違いなく若い頃のここでの経験があったから。成長させてもらった場所であることは間違いありません。

 ただ、実際に徳島に対して何か返せたかというと、何も返せていないんですよね。2年半在籍したなかでJ1に昇格もさせていないですし、徳島を盛り上げていくことも当時の自分には力不足で、できませんでした。

 でも、やっぱりここでの経験は、一番に思い出される記憶なので。そういった場所で僕がやり残したことと言えば、J1に昇格させること。そこに向けて自分の力のすべてを注ぎたい。そう思えるのは徳島だけですね」

── 2009年の途中にセレッソから徳島に移籍しましたが、当時の自身を振り返ると?

「そんなに今と変わりはないのかなと。もちろん生活のリズムであったりは全然違うと思いますけど。どうですかね? まあ、若かったですし、楽しかったですよ。今は家族の存在もありますし、そういう部分では違いはありますけど」

── 誤解を恐れずに言えば、当時はセレッソから、ある意味で"放出された"移籍だったと思います。そういう状況のなか、徳島ではどういう思いでプレーしていたのでしょうか。

「16歳でプロになって、『サッカー選手ってこんなにおもろないんや』と思っていましたね。『なんでもっと楽しいことせえへんのやろう』って。でもここにきて、それではダメだということに気づけたというか、気づかざるを得ない状況でしたね。

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