「すごいと言われて天狗になって...」33歳になった柿谷曜一朗が10代を振り返って「逃げ出したくなった」本音を吐露 (2ページ目)

  • 原山裕平●取材・文 text by Harayama Yuhei
  • photo by ©TOKUSHIMA VORTIS

 そのなかで『自分がこのセレッソというクラブを大きくする』という想いで、ずっとやってきました。それがいい方向に行く時もあれば、悪い方向に転ぶ時もありました。

 でも、たとえ理解されなくても、自分が思う『セレッソはこういうクラブなんだ』というプライドを捨てることはできなかったんです。『セレッソ=自分』だという気持ちにもどんどんなっていって。

 もちろん、いいパフォーマンスを見せることが前提にあることはわかっていたんですけど、少し長くいすぎた部分があって、自分でもどんどん甘いほうにいっていたということに気づいていましたよ。それでも『自分のセレッソ』という気持ちが強すぎて。自分がよくしたい、自分が中心なんだという想いが強すぎたからこそ、あのタイミングで出ざるを得なかったのかなと思っています」

── セレッソではいろんなものを背負いすぎていたと?

「背負いこんでいたというよりも、セレッソというクラブを自分の物だと勘違いしていたので。『セレッソと言えば僕以外ありえない』という気持ちでしたね。

 でも、名古屋に移籍したことで、そんな気持ちはまったくなくなりましたし、周りのことを気にせずにプレーできるようになりました。サッカーを楽しむというか、サッカーのことだけに集中できた2年間だったと思います」

── サッカーに集中できた一方で、結果としては納得できないものだったのでは?

「やっぱり、厳しい世界ですから、思うようにいかないことはあります。呼んでくれた監督と強化部長が代わってしまうことは、この世界では起こり得ること。そこに関して何かを言うつもりはないです。

 監督が求めるプレーができなければ、試合に出られなくなるのは当然のこと。もっと柔軟にやればよかったですし、自分としては柔軟にやっていたつもりだったんですけど、使われなかったということは、全然できていなかったということなんでしょうね」

── 特に昨年は苦しい1年だったのかなと思います。

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