元レフェリー・家本政明が明かすJリーグですごかった担当試合。「胃がキリキリする緊張感」を感じた一戦とは? (4ページ目)

  • 篠 幸彦●取材・文 text by Shino Yukihiko
  • photo by Getty Images

 この頃からJリーグは激しくエキサイティングなプレーを求めたり、アクチュアルプレーイングタイム(1試合中の実際にプレーする時間)を長くすることを目指したり、「魅力あるフットボールとはなにか」というのを謳っていました。

 Jリーグはプレミアリーグやラ・リーガ、ブンデスリーガといった世界のトップリーグに入りたいという夢、ビジョンを持っています。それを実現するためには、今のレフェリングスタイルやプレークオリティでは到底追いつけない。

 国内のレベルをヨーロッパ5大リーグの競技水準まで引き上げて、選手がヨーロッパに行かなくても十分に成長できる環境を作りたいと思っているわけです。

 そこで選手には簡単には倒れずプレーを続けてもらうように促し、簡単には笛を吹かないとコミュニケーションを取りながら伝えていく。カードの基準も多少の幅がありながらコミュニケーションを取っていく。そういう方針をレフェリーはJリーグから言われるわけです。

 私はそれにすべて従事するわけではないけれど、Jリーグがヨーロッパのプレークオリティに追いつくために、もっと基準を日本オリジナルではなく、世界トップレベルに沿ったものにしたい。そのためのレフェリング基準に思いきって舵を切った最初の試合が、2019年のスーパーカップだったわけです。

 レフェリングをする時には選手に声が聞こえる距離感にこだわり、ファールかどうか見極めるための角度やポジションにもすごくこだわりました。その上で「こういう時は取らないよ」とジェスチャーや声で選手に伝え続けました。

 私がファールを取らないとプレーが流れていくわけで、それが続いたあとに「家本さん、さっきのあれはさあ」と選手が言ってきても「あれはファールと思うかもしれないけど、俺は取らない。取らないから続けてくれ。詳しい話は試合後に話すから」と、続けるよう促しました。

 選手はしぶしぶ納得して続けてくれました。その協力のかいもあってプレークオリティが高く、球際も激しく、攻守の切り替えの速いゲームになりました。選手たちがやりたいサッカー、サポーターのみなさんが見たいサッカーをレフェリーが邪魔することがなかった。フットボールのイベントとして、魅力あるゲームが実現できたと思います。

 同僚のレフェリーや現場の人たちからは「すごいよね。よくあれだけ戦わせたよね」と非常に評価が高く、一方でアセッサーやレフェリーを指導する側には少し逸脱していたという評価をいただきました。

 ただ、このスーパーカップをきっかけに、今は同じ基準を全体で共有できています。

 私がなぜそこまで思いきって舵を切れたのか。それは、この時すでに2021年で辞めようと決めていたからです。あと3年で、Jリーグにいいものをお返ししたい。Jリーグの勝ちと魅力をもっともっと高めたい。そのために私はなにができるのか、なにを残せるか。そんな思いと、そのなかには2008年の禊のような思いも少しありました。

 満足はしていませんが、レフェリーが悪目立ちすることなく、選手やファンが安心できるようなレフェリングができて、スーパーカップというお祭りを楽しんでいただけるような試合になったと思っています。

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