【育将・今西和男】毎年ドイツに渡り、「プロ」風間八宏を口説いた (4ページ目)

  • 木村元彦●文 text by Kimura Yukihiko   織田桂子●写真 photo by Oda Keiko

 どれだけ怒鳴り合っても、ウベは風間を使い続けた。ふだんはコミュニケーションもろくに取らず、あいさつくらいしか交わさない。風間が靭帯を損傷して手術した際も見舞いに来たウベは励ましもせず、「お前の契約もあと半年だからな」とだけ言い残して帰っていった。「この野郎!」と思ったが、3ヶ月して復帰したら、すぐに先発で使い出した。調子が上がらず風間自身が納得できない出来であっても使い続けた。そのうちパーンとはじけるようにパフォーマンスが元に戻った。ウベはプレーや判断については心が折れそうになるくらい厳しい言葉を投げかけてくるが、絶対に人格を責めるようなことは言わなかった。

「ふと、思ったんです。俺が監督だったら、こんなにガミガミ言ってくる選手は使えねえだろうな。でも使う。つまり、俺とお前は別に友達じゃないけど、ここで同じ仕事をするんだ。それについてはすごく言うが、それ以外はどうでもいいんだってことなんですね」

 サッカー先進圏ヨーロッパのプロフェッショナリズムを身体で受け止めていたことになる。西ドイツに渡った風間を今西はずっと注視し続けていた。いつかはチームに呼びたいと思っていたのだ。年に1度は渡独してチームや身体の状態を聞いたり、ときには当時のマツダの監督であったオフトを伴って来た。オフトはマツダで何をテーマに指導しているかを伝えてきたが、風間にしてみれば、非常に基礎的なことすぎて、興味がそそられるものではなかった。

「自陣ゴール前ではミスしちゃいけない、中盤は前に持っていく、最後FWはチャレンジしてもいいです。でも今、そんな話をされてもなと。後から思えば、オフトさんは本当にチームの現状をしっかり把握していて正しかったというのがわかった。でも、当時の自分は今西さんに『申し訳ないけど、この監督とは俺は無理だ。面白みを感じない』と言ったんです」

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