高校サッカー界屈指の練習量を誇る国見。その驚愕の「夏合宿」 (3ページ目)

  • 川端康生●構成 text by Kawabata Yasuo
  • photo by AFLO SPORT

――そこまで追い込んでいるから、国見は試合でもあんなに走ることができたわけですね。やはり練習の厳しさは、高校サッカー界随一だったんでしょうね。

「うちと、鹿児島実高でしょう。そういえば、夏休みに鹿実が国見に遠征してきたことがあったんです。あのときは、最悪でした......。

 僕らが試合に勝つと、試合後に、鹿実が延々とダッシュするわけですよ。すると、それを見た小嶺(忠敏)監督(※1)から『うちは鹿実の2倍、走れ!』って指示が出る。それで、僕らが走っていると、今度は鹿実の松澤(隆司)監督(※2)が「国見があれだけやっているんだから」と、鹿実の選手たちがまた、それ以上に走らされる。

 100mぐらいのダッシュを相手が50本やったら、こっちは100本。こっちが100本やったら、今度は相手が200本......と、きりがないんですよ。もう「鹿実は来んな!」って、ずっと思っていましたね。

 他にも、諫早市で試合をやって、そこで負けたときには、学校まで「走って帰れ!」って言われたこともありました。諫早市から国見町まで30~40kmくらいあったと思うんですが、あれには参りましたね。まあ、僕らレギュラー陣は、わりと早くにバスに乗せてもらったんですが、レギュラー入りするかどうか、という選手たちは、相当走ったんじゃないですかね......。

 あと、遠征に出掛けて試合をするときは、おおよそ着いた瞬間にキックオフという状況が多かったんですよ。つまり、アップの時間がないんです。おかげで、移動中のバスの中で体を動かしたり、ストレッチをしたり、フェリーで移動したときは甲板でアップをしたこともありました。他のお客さんには、いい迷惑だったでしょうね(笑)」
※1:1968年~1984年まで島原商高の監督を務め、その後、1984年~2007年まで監督、総監督として国見高を指揮。国見高では6度の選手権優勝を飾る。現在は、長崎総合科学大学および同附属高サッカー部の総監督を務める。
※2:1966年から40年以上、鹿児島実高サッカー部の指揮を執る。選手権の優勝は2回。2011年には、2000年から務めてきた総監督からも勇退した。

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