【特別寄稿】FC岐阜・恩田社長、病気公表までの苦悩と葛藤 (4ページ目)

  • 木村元彦●文 text & photo by Kimura Yukihiko

 9月14日のコンサドーレ札幌戦ではスポンサーの川崎重工の協力でヘリコプターからボールを落とす空中始球式を行なった。9月23日のロアッソ熊本戦では「はたらくのりもの大集合」と称して消防車や郵便車をスタジアム周辺に置いて、子どもたちの関心を誘った。他にもサポーター同士のスタジアム結婚式や県内の大学に学祭のスペースを貸し出すなど、メディアバリューのあるイベントをやった。恩田はスタジアムではいつも緑のユニフォームをまとい、常ににこやかにサポーターに接し、勝利すればハイタッチで応じた。

 FC岐阜の発信力は強化され、日本代表ブランドであるラモス監督、GK川口能活などの新戦力の魅力とも相まって観客動員数は前年度から7割も増加した。恩田の経営手腕が如何なく発揮された結果である。しかし、年末に向かい、ますます身体は動かなくなって来た。握力は5kgを切り、走ることはもはやできなくなった。


病気の公表、そして2015年もクラブのために

 そして2015年。順風満帆な船出をしたかに見えた新社長は1月30日、記者会見を開き、自身がALSを発症していることを発表した。社員と選手には会見の朝に集まってもらって伝えていたが、誰もがあまりの事実に言葉をなくした。

 HPに恩田はこう書いた。「このALSという病気は、身体は動かなくなるが、命までは取られない。感覚、知覚、意思、判断にも影響はなく、私は、『わたし』のままでいられる。ならば、今まで通り社長業を続けられる限りは続けて、『ぎふ』のために働きたい」

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