日本代表の「衝撃的敗戦」はなぜ起きたか 機能的な攻撃のなさが守備崩壊を招いた (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki

【秩序に欠ける攻撃を繰り返して】

 この試合の日本は、前半あるときまで、いい守備から相手を脅かす攻撃はできていた。反応よく集団でボールを奪い返す守備で、イランを大きく上回った。前半27分、守田が挙げた先制点も、背景にそうした流れがあった。守備と攻撃が表裏一体の関係にある、イランにはない今日的なサッカーを見せつけた。

 しかし「いい守備から」という文言が示すとおり、森保サッカーはまず守備ありきだ。攻撃の追求が甘い。「いい攻撃こそいい守備の源である」という概念に欠ける。攻撃と守備が連動していないのだ。守備から攻撃はあっても、攻撃から守備がない。「奪われることを想定しながら攻めていない」のだ。

 サッカーは、ゴールラインを割ってゴールキックになったりしない限り、攻撃が終わると即、守備に切り替わる。このサッカー的な終わり方に、こだわりがない。悪く言えば能天気。秩序に欠ける攻撃を繰り返している傾向があることに気づけていない。

 森保監督は就任当初から「攻撃に策がない」と言われ続けてきた。ほぼ選手任せであることは、会見等のコメントの内容から察することができた。テコ入れを図ろうとしたのか、2022年カタールW杯後は名波コーチが加わったが、彼もJクラブ監督時代は、森保監督と同様の守備的サッカーを実践してきた指導者だ。

 筆者の目にはいいコンビには見えなかった。だがW杯後、連勝記録を伸ばすなど、好成績が出た。ともすると森保ジャパンは順調に見えた。上昇した選手のポテンシャルに助けられたことがその実態であることに、気づけなかったと言うべきか。

 日本の自慢はウイングだ。サイドバックの質も急上昇している。生命線と言えるまでになったそれぞれの魅力が、このイラン戦でどれほど発揮できたか。サイドアタックはどれほど決まっただろうか。その象徴である、最深部からの折り返しは、何本あっただろうか。

 言い換えれば、サイドの高い位置でボールを奪われてもリスクは少ないという自覚を持ちながら、どれほどプレーできたか。そこが追求されていないことは一目瞭然だった。

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