谷口彰悟が思い出す、初めて日本代表のユニフォームを手に取った日「今も袖を通すたびに身が引き締まる」 (2ページ目)

  • text by Harada Daisuke

 しかも、当時は代表ではなく「代表候補」。それでも誇らしかったが、自分はケガも重なり、その後は世代別代表に選ばれる機会はなかった。以降も招集されることはなく、育成年代では日本代表に縁がなかった。

 だから、初めて日本代表のユニフォームに袖を通したのは2011年。大学2年生で参加した第26回ユニバーシアード競技大会だった。

 日本全国の大学生が選抜されて臨んだ大会は、多くがその後にプロの道へと進んだように、決してレベルの低いチームではなかった。そして、大学3・4年生が中心だったメンバーに、赤﨑秀平(2023年現役引退)、椎名伸志(現・カターレ富山)とともに2年生だった自分が選ばれたことは、とても光栄だった。

 世代別の日本代表に選ばれることのなかった自分が、大学リーグでもまれ、そういったステージに立てる存在へと成長できたことを知る貴重な機会になったからだ。

 また、大会では大学選抜とはいえ、A代表と同じユニフォームを着て戦えることもうれしかった。

 実際、初めてサムライブルーのユニフォームを手に取った時は、日本を代表して戦うことの責任や誇りを感じた。今も袖を通すたびに身が引き締まるのは、責任感が増したと同時に、あの時の初々しさが甦るからだろう。

 中国の深圳(シンセン)で行なわれた第26回大会では、準決勝でロシアに4-1で勝利し、決勝でイギリスに2-0で勝利し、優勝する貴重な経験もできた。メンバーに選ばれたからには、自分もスタートから試合に出たい、活躍したいと、貪欲な姿勢で臨んだため、6試合中4試合に先発出場できた。

 そこは先輩たちがフォローしてくれたおかげもあって、自分に集中できたことが大きかった。自分にできることをやろうと、ガムシャラにやった結果、優勝という結果を残せて、うれしさと手応えを掴んだことを覚えている。

 一方で、僕は大学4年生で迎えた第27回ユニバーシアード競技大会(開催地=ロシア・カザン)にも出場している。優勝した前回大会を知り、最上級生として参加していただけに、多くを背負って臨んだつもりだったが、準決勝でフランスにPK戦の末に敗れ、悔しさを噛み締めた。

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る