オシムジャパンの有益な敗戦 ザッケローニの采配ミス...サッカー日本代表の成長を証明してきたアジアカップ (2ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki

【PK戦を見られなかったオシム】

 時の日本代表監督イビチャ・オシムは「心臓に悪い」と、PK戦の様子を見ることができず、ベンチの裏でピッチに背を向けていた。

 サッカー的には中盤ボックス型4-2-2-2か3-4-1-2かの2択だったこれまでとは一変。オシムは4-2-3-1を基本線に据えて戦った。ウイング不在のサッカーに別れを告げようとした。だが、布陣に適したタレントがいなかった。欧州では当たり前になっていたウイングつきのサッカーが日本で浸透しない現実を筆者が嘆くと、「布陣は抱えている駒で決めるものだ」と反論されたものだ。

 しかし一方、布陣が人材を育てるという側面があることも事実だった。4-2-3-1や4-3-3がシェアを広げていた欧州では、優れたウインガーが続々と誕生していた。

 4-2-3-1を敷くオシムジャパンで、3の両サイドに起用されたのは、遠藤保仁や中村俊輔だった。オシムは中盤の選手を両サイドに据え、そのエリアをカバーさせようとした。

 中盤に優れた人材がひしめいていた当時の日本。それはまさに4-2-2-2の産物だった。ジーコが新監督に就任し、中田英寿、小野伸二、中村俊輔、稲本潤一の4人が中盤ボックス型を形成すると、メディアはジーコ、ファルカン、ソクラテス、トニーニョ・セレーゾが活躍した1982年W杯当時のブラジル代表を引き合いに出し、「黄金の中盤」と讃えたものだ。

 中盤天国だったジーコジャパンの時代に、現在の日本のウイング天国を想像した人はどれほどいただろうか。オシムジャパンを機に、日本サッカーの流れは一変した。ただし、その生みの苦しみを、オシムジャパンは少なからず抱えていた。

 難敵オーストラリアを延長、PK戦の末に下した日本は、続く準決勝でサウジアラビアに3-2で敗れ、3位決定戦に回った。

 相手は韓国で、結果は0-0。延長、PK戦の末、日本は敗れた。オシムは例によってその瞬間を見ていないのだが、それはともかく、勝ちきれなかった理由は先述のとおり、使用する布陣と選手のキャラがマッチしていなかったことにあった。

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る