トルシエがA代表の活動に本腰を入れた2000年――絶大な成果を出した「ラボラトリー」とは? (2ページ目)

  • 田村修一●取材・文 text by Tamura Shuichi

 当時の日本代表において、海外のクラブに所属していたのは中田英寿と、コパ・アメリカ以降は代表に招集されていなかった名波浩のふたりだけだった。中田は1999-2000シーズン途中に、イタリアのペルージャからローマへ移籍。名波は1999-2000シーズン、イタリアのベネチアに在籍していた。

 残りはすべて国内組。トルシエは、彼らをしばしば福島県のJヴィレッジに集めて合宿を行ない、自らの戦術とプレースタイルを選手たちが身体で覚えるまで練習を繰り返した。その過程をトルシエは、『ラボラトリー』(実験室または研究室)と呼んだ。

「ラボのなかで、私は明確なプレーのプロトコルを提示し、戦術的なプロセスを示しながら選手たちに組織的な役割を与え、責任を付与した。また、プレーにおいてはコミュニケーションを取りながらボールを正確に動かすことで、戦術的な相乗作用を作り出すことが可能になった」

 すべての過程はオートマティックに行なわれるまでに精緻化され、選手が躊躇なくプレーできるまで練習で反復された。

「躊躇しなければ、彼らはより早く判断を下せる。何をすればいいかわかっているからで、そのことは選手自身だけでなく、周囲の選手たちも同様に理解している。対戦相手に対する大きなアドバンテージだ」

 では、トルシエの言うプレーのプロトコル、戦術的なプロセスとは、具体的にはいったい何であったのか。守備においては『フラット3』と呼ばれる特異な守備システムだった。

 3バックが浅いラインディフェンスを敷き、チーム全体でコンパクトなブロックを形成。相手にスペースを与えず、人数をかけて囲い込んでボールを奪う。同時に、ラインコントロールしながらオフサイドトラップを仕掛けて、ディフェンスラインの裏への動きを封じる。

 その際に重要であるのは、相手をマンマークでケアするのではなく、チーム全体がボールに対して同じ反応を示して、ブロックを維持することだった。人ではなく、ボールに対応することで、個の力で上回る格上の相手にも組織の力で守りきることができる。

 W杯では格上のチームに挑む日本にとって、「フラット3こそが最も適した戦術である」というのがトルシエの持論だった。

 一方、攻撃では前線のひとりの動き出しをきっかけにして、全員が一斉に動き出してポジションを変える。そこにくさびのボールが入り、選手たちは流動的な動きをずっと繰り返しながらボールをつないでいく。

 動きが感覚として体に染み込むまで、トルシエは選手たちに徹底したリピート練習を課した。そのための方法が、シャドウトレーニングであった。対戦相手を置かず、ダミー人形を立てた間でボールを動かすトレーニングセッションである。

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