中村憲剛がブラジルW杯を観て思ったこと。「緩衝材じゃないけど、自分をうまく使ってほしかった」 (2ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun

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 中村の不安は、現実のものになっていく。

 ブラジルW杯の初戦、コートジボワールと対戦した日本は本田圭佑のゴールで先制したものの、後半に逆転されて大事な初戦を落とした。そのショックは大きく、次戦に向けての紅白戦では選手間で言い争いが起き、練習がストップするなどして、チームの雰囲気は険悪なものになっていった。

 続くギリシャ戦も相手に退場者が出ながら、攻めきれずに0-0のドロー。3戦目のコロンビア戦では、相手エースのハメス・ロドリゲスに翻弄されて1-4と惨敗を喫した。結果、日本は1勝もできずにグループリーグ敗退となった。

 自信に満ち溢れ、優れた能力を持つメンバーたちが「自分たちのサッカー」を掲げ、本田らは「W杯優勝」を宣言していたが、「史上最強」と称された2006年ドイツW杯と同じく、悲惨な結果に終わってしまった。

「率直に思ったのは、なんでこんな結果に終わったのか、ということ。

 圭佑はじめ、多くの選手が欧州のクラブでプレーしていて、世界に引け目を感じることなく戦えていたし、(2013年11月の)親善試合ではオランダやベルギー相手にもいい試合ができていたので、(選手たちが)『"自分たちのサッカー"を貫けばW杯でも勝てる』と思ってもおかしくはなかった。

 でも、W杯は親善試合とは違う。それに、W杯は自分たちのやりたいことだけをやって勝てる世界じゃないということは、2010年の南アフリカW杯でも経験したはず。(田中マルクス)闘莉王が言った『地べたを這いつくばってやるしかない』という精神で、みんながやらないと勝てない世界なんです。

 コートジボワール戦はもっとやりようがあったし、ギリシャ戦も攻撃が淡泊だった。最終予選を戦っていた頃のチームならどうだったのか......。すごくもったいなかった」

 中村がもったいないと感じたのは、アジアカップで優勝してどんどん完成度を高めていった時のチームと、W杯のチームが"別モノ"になっていた感があったからだ。

「アジアカップ優勝という成功体験を得て、メンバーも固定されて、(W杯最終予選では)みんながオートマティックに動けていた。僕は、ザックジャパンの生命線はヤットさん(遠藤)とハセ(長谷部誠)のボランチだと思っていたんですけど、その後、ヤットさんらベースとなるサッカーを築いていた面々の何人かがレギュラーから外れていった。

 僕の個人的な感覚ですけど、(W杯を目前にして)チームが解体され、選手間のあうんの呼吸がなくなっていった。よかった時のチームの面影がなくなったのがとても残念でした」

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