17歳の遠藤航を反町康治はどう育てたのか?「デュエルの強さは、俺が教えたものではない」 (4ページ目)

  • 戸塚 啓●取材・文 text by Totsuka Kei

【二個、三個先まで先回りして答えられるようになった】

 湘南から浦和、シント・トロイデン、シュツットガルトを経てリバプールに辿り着いた彼のキャリアは、確実に右肩上がりだ。中長期に振り返ると、浮き沈みの「沈み」の時期がないのである。

 遠藤自身も「自分の平均値を上げていくのは、ずっとやり続けている部分です」と語っている。シュツットガルトでの2シーズン目を控えた2020年夏には、「プレーするリーグのレベルが上がっていくほど、平均値が上がっていく感覚が個人的にある」と話していた。

 遠藤のコメントを聞いた反町は、「なるほどな」とうなずいた。

「テレビのクイズ番組でも、慣れている回答者は答えが早くなる。この質問はこういう引っ掛けだと先回りして、最後まで聞かなくても答える。

 我々と一緒にやっていた当時の航は、質問に対して真っ直ぐに答えるレベルだったけど、リバプールでやっている今は二個、三個先まで先回りして答えられるようになっているんだと思う」

 実戦を通じて学んでいく力が、成長の原動力だとすれば──。

 世界のトップ・オブ・トップのリバプールの一員となった遠藤は、サッカーIQを猛烈に刺激される日々を過ごしているに違いない。

 30歳は、さらに進化していくのだろう。

(文中敬称略/後編につづく)

◆反町康治・後編>>技術委員長の仕事「三笘薫の少年時代のプレー映像があれば...」


【profile】
反町康治(そりまち・やすはる)
1964年3月8日生まれ、埼玉県さいたま市出身。清水東高→慶應大を経て全日空に入社。横浜フリューゲルス誕生後も社員選手として続けるも、1994年にベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)へ移籍した際にプロ契約を結ぶ。1997年に現役引退。2001年〜2005年はアルビレックス新潟監督、2006年〜2008年は北京五輪世代のアンダー日本代表監督、2009年〜2011年は湘南ベルマーレ監督、2012年〜2019年は松本山雅FC監督。2020年3月に日本サッカー協会・技術委員長に就任。日本代表4試合0得点。ポジション=MF。身長173cm。

プロフィール

  • 戸塚 啓

    戸塚 啓 (とつか・けい)

    スポーツライター。 1968年生まれ、神奈川県出身。法政大学法学部卒。サッカー専誌記者を経てフリーに。サッカーワールドカップは1998年より7大会連続取材。サッカーJ2大宮アルディージャオフィシャルライター、ラグビーリーグワン東芝ブレイブルーパス東京契約ライター。近著に『JFAの挑戦-コロナと戦う日本サッカー』(小学館)

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る