加地亮『代表もサッカーもやめたい』選手として最も脂の乗っていた時期になぜ代表引退を決めたのか (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text&photo by Sato Shun

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「オシムさんの時は、キツいながらも2年間、やることができた。でも、監督が岡田さんになって、右サイドバックにはウッチー(内田篤人)が頭角を現してきた。しかも、これからW杯予選が始まろうとしていた。

 ドイツW杯の時は予選で苦しみ、W杯は儚く終わった。それをまた繰り返すのかと思うと、しんどかったので、『やめるんだったら、このタイミングやな』と。それで、嫁にも『代表も、サッカーもやめたい』って言ったんです。

 そうしたら、『まだ29歳だし、もうちょっと頑張ったら』と言われて......。でも、代表とクラブの両方でやるのはしんどいんで、ガンバ大阪だけに専念することにしました。

 その時はもう、南アフリカW杯のことは何とも思っていなかった。代表には未練がなかったし、代表引退も後悔はなかったです」

 2008年5月、加地は日本代表からの引退を公言した。

 同時に、海外でのプレーも封印した。ドイツW杯後、ドイツのクラブから打診があったという。海外でのプレーはワールドユースに出場した頃からの夢だったが、自分の目標を達成すべく、日本でのプレーを選択した。

「ドイツW杯が終わって、世界に出ることがなくなってからは、『日本で一番のサイドバックになりたい』という気持ちがより強くなった。前から思っていたんですけどね(笑)」

 加地はガンバで不動の右サイドバックになり、西野朗監督時代にはAFCチャンピオンズリーグ制覇をはじめ、カップ戦、天皇杯優勝などに貢献。一時代を築いた。

 南アフリカW杯は、テレビで選手たちの活躍を楽しく見ていた。

「代表を引退したんで、悔しさとかもなかったですね。自分は『ガンバでサッカーをやりたい』『自分を高めたい』と思っていたんで。

 目標って、人それぞれだと思うんです。別にW杯に出ることがすべて、じゃないんですよ」

 加地は2014年のシーズン途中までガンバでプレー。6月末、メジャーリーグサッカーのチーヴァスUSAに移籍し、残りのシーズンでリーグ戦全試合に出場した。

 そして翌年、J2のファジアーノ岡山へ移籍した。メジャーリーグサッカーで移籍先が見つからなければ、現役を引退しようと思っていたが、FC東京時代のコーチだった長澤徹が岡山の監督に就任。その縁で岡山入りし、2017年までプレーして現役を引退した。

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