町野修斗「這い上がってやる」精神でJ3→J1→日本代表へ...移籍後の「外すんじゃないか」の空気もゴールで吹き飛ばした (2ページ目)

  • 原田大輔●取材・文 text by Harada Daisuke
  • 是枝右恭●撮影 photo by Koreeda Ukyo

── 北九州時代の話も出たので、ここまでのキャリアについても聞かせてください。町野選手は2018年に横浜F・マリノスでプロのキャリアをスタートさせましたが、2019年にJ3だったギラヴァンツ北九州に期限付き移籍しました。そこからJ3、J2、そしてJ1とカテゴリーを駆け上がってきました。その過程で心掛けていたこと、意識していたことはありましたか?

「もちろん、最初からトップレベルのカテゴリーで活躍することが望ましいとは思いますけど、僕自身は自分の伸びしろというか、自分自身をずっと信じてきました。子どものころから自分は活躍できると思っていましたし。

 プロになった時も、必ずJ1で戦える選手になれると、ずっと思ってきました。その自分を信じる力があれば望みは叶う、実現可能なんだと、自分のキャリアを振り返って改めて思います」

── おそらく今日に至るまで、自分のなかでいくつかのターニングポイントがあったかと思うのですが、振り返って思い出すことはありますか?

「やっぱり北九州での2年間は、自分にとって大事な時間でしたね。でも、今思うと、当時はまだまだ未熟だったなと思います。ただ、当時はチームメイトにも恵まれて、移籍した1年目にJ3で優勝して、翌年(2020年)はJ2を戦うことができました。

 J2でも前半戦はリーグ戦で9連勝し、首位に立ったこともありました。のびのびとプレーすることができていましたし、それがあったからこそ、ベルマーレに声をかけてもらえたと思っています」

── さらに掘り下げると、プロ1年目はJ1で優勝争いをしている横浜FMで試合に出場できず、翌年にはJ3の北九州に期限付き移籍。先ほど「自分を信じる」と語ってくれましたが、その現実に落胆することはなかったのでしょうか?

「ずっと、這い上がってやる、と思っていました。それこそ最初は、やはりプライドというか、F・マリノスという常にJ1で戦ってきた歴史のあるクラブから、加入する前年(2018年)にJ3で最下位だったチームでプレーすることになったので、危機感は抱いていました。

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