玉田圭司は「史上最強」と言われた日本代表の悪夢をどう見ていたか「これがW杯なのか...」 (2ページ目)

  • 佐藤俊●取材・文 text by Sato Shun
  • photo by REUTERS/AFLO

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 迎えたW杯シーズン、玉田は故障明けの影響もあり、自らのプレーに納得のいかないことが多かった。その一方で、日本代表のFWの椅子を巡る争いは激しさを増していた。高原直泰、柳沢敦を中心に、久保竜彦、佐藤寿人、巻誠一郎らがゴールを重ね、代表入りをアピールした。

「W杯メンバー入りの競争は激しかったですね。僕自身、ケガ明けだったので、どうなるかなと思うところはありました。でも、ジーコや(テクニカルアドバイザーの)エドゥが僕のことをすごく評価してくれていたんです。それは、ふだんの会話からも理解できました。

 理由はわかりませんが、僕のプレースタイルがブラジル人には好まれるようで、レイソルの時もマルコ・アウレリオ監督になってから起用されるようになって、中心選手になることができた。代表でも、ジーコの信頼があったので、やりがいがありました」

2006年ドイツW杯に出場した日本代表では、ジーコ監督(一番右)からの信頼も厚く、レベルの高い選手がそろうなかで「楽しくプレーできた」という玉田圭司(右から2番目)2006年ドイツW杯に出場した日本代表では、ジーコ監督(一番右)からの信頼も厚く、レベルの高い選手がそろうなかで「楽しくプレーできた」という玉田圭司(右から2番目)この記事に関連する写真を見る そうして、最終的に巻が選出されるサプライズはあったが、玉田も無事にW杯メンバーの23名に登録された。チームには、中田英寿、中村俊輔、小野伸二らレベルの高い顔ぶれがそろっていて、プレーしていて楽しい環境だった。

「僕は、世代別の代表でプレーした経験もなかったので、(ジーコジャパンには)同世代で一緒にプレーした選手がほぼいなかったんです。過去に一緒にプレーしたのは土肥(洋一)さんぐらいでした。

 だから、最初はすごく緊張したんですけど、代表チームは、僕にとってはレイソルみたいなチームでした。年齢が上の人たちが(チームの中心に)いて、その人たちが『好きにやっていいよ』みたいに支えてくれたので、本当に楽しくプレーできていた」

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