70歳を迎えたジーコが振り返る、ジーコジャパンで「最もエモーショナルだった」試合 強い日本代表はあの試合から始まった

  • リカルド・セティオン●文 text by Ricardo Setyon
  • 利根川晶子●翻訳 translation by Tonegawa Akiko

ジーコインタビュー(前編)

 3月3日、ジーコは70歳の誕生日を迎えた。

 節目の年の盛大なお祝いは、ジーコがいかにブラジルにとって偉大な存在であり、愛されているかを物語っていた。誕生日イベントが連日目白押しで行なわれ、70周年記念Tシャツはあっという間に売り切れた。

 最初のパーティーは誕生日の10日前から始まった。まずは元フラメンゴのチームメイトたちとのランチ会、2月25日には同じメンバーでリオのカーニバルのパレードに、山車に乗って繰り出した。チーム名は「フラ・マスター」。フラメンゴのレジェンドという意味で、全員が「ジーコ70」と書かれたおそろいのシャツを身に着けていた。パレードは3時間にも及び、そのうしろには1万人以上のサポーターがつき従っていた。

 また、3月1日のレコパ・スダメリカーナの決勝、フラメンゴ対インディペンデンテのハーフタイムには、サッカー雑誌『プラカール』からジーコに記念品が贈呈され、マラカナンに集まった6万9000人のサポーターがジーコのためにハッピー・バースデーを歌い、ジーココールでスタンドを震わせた。

 何といっても一番大きなイベントは、誕生日当日のパーティーだ。フラメンゴが同じ地区にあるジョッキークラブを貸し切り、約500人のゲストが集まった。ジーコの家族(多くの孫も勢ぞろいした)の他、友人、元同僚(ジュニオールやベベート)、フラメンゴの歴代会長、現役選手たちも駆けつけ、ブラジルの高名な歌手たちが歌を作って捧げた。タイトルは『ダウンタウンから日本へ』。貧しい地区で生まれた時から日本で成功するまでを歌たったものだ。

 会場には50台のモニターが並べられ、厳選したジーコの70本のゴールを映し出していた。もちろん鹿島のユニホームを着て決めたゴールシーンも多々あった。バースデーケーキは7段もある特大なもので、ひとつの段が彼の10年を表していた。ジーコが登場する花道にはレッドカーペットが敷かれており、「私は映画スターじゃないよ」と彼を大いに照れさせた。

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