森保にあって、デシャンにはなかったのもの。ゆえにトルシエは、フランス代表への危惧を強めていた (4ページ目)

  • 田村修一●取材・文 text by Tamura Shuichi
  • photo by JMPA

 一方、フランスはそうではない。スタメンは(ウスマン・)デンベレと(オリビエ・)ジルー、グリーズマン、(キリアン・)エムバペで、サブが(キングスレイ・)コマンだが、コマンは今、不満を述べている。だから、彼は第3グループに落とされた。バンジャマン・パバールも同じで、大会前に不満を漏らして第3グループだ。

 そして、第3グループの選手にはプレーの機会がまったくない。モロッコ戦ではたまたまイブラヒマ・コナテがプレーしてグループから抜け出したが。

 第3グループの選手たちも、第1グループに入れる力を持っている。しかし、現実には第3グループに入れられている。それが、フランスのやり方であり、このやり方でフランスは2度世界の頂点に立った」

 エムバペをはじめ、グリーズマンやデンベレ、ジルー、アドリアン・ラビオらの個の能力とパフォーマンス。彼らがずっとプレーし続けることで、フランスは準決勝まで安定した戦いを続けた。

 トルシエは断言する。

「彼らはずっとプレーし続け、先発から外れることは一度としてない。そんなチームは不安定だ」

 事実、決勝戦でフランスは窮地に追い込まれた。

(文中敬称略/つづく)

フィリップ・トルシエ
1955年3月21日生まれ。フランス出身。28歳で指導者に転身。フランス下部リーグのクラブなどで監督を務めたあと、アフリカ各国の代表チームで手腕を発揮。1998年フランスW杯では南アフリカ代表の監督を務める。その後、日本代表監督に就任。年代別代表チームも指揮して、U-20代表では1999年ワールドユース準優勝へ、U-23代表では2000年シドニー五輪ベスト8へと導く。その後、2002年日韓W杯では日本にW杯初勝利、初の決勝トーナメント進出という快挙をもたらした。

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