『ハーフナー・マイクが練習を無断欠席』の真相。念願だったスペイン挑戦で「僕の選手としての評判はガタ落ち」 (2ページ目)

  • 中山淳●取材・文 text by Nakayama Atsushi
  • photo by AFLO

 もし前線に高さのある選手を選んでおこうと考えてくれたらワンチャンあるかもしれないと、少しだけ期待していましたけど、やっぱりなかったですね(笑)。

 でも、僕から見ても、あの時代の日本代表はとてもいいサッカーをしていたので、本大会でその実力が出せなかったのは残念でしたし、結果を出してほしかったです」

── 当時の代表には香川真司や本田圭佑など、ヨーロッパで活躍する豪華なメンバーが揃っていました。彼らを目の当たりにして、何か感じたことはありましたか?

「代表に入って感じたのは、自分はサッカーが下手だな、ということでした。だから、自分のチームに戻ってどれだけ結果を残し続けられるか、どのようにしたら自分が変われるのか、いろいろと悩んだんですけど、そのたびにどこかで妥協していたのかもしれません」

── 特に印象深い選手は誰でしたか?

「(香川)真司とヤットさん(遠藤保仁)は、やっぱりすごいなって思いました。

 たとえばハーフコートの11対11をやると、お互いの距離が近いのでプレッシャーも速いんですが、そのなかでも彼らは余裕を持ってプレーできていましたから。もちろん、ほかの選手もうまいんですけど、真司とヤットさんはさらにその上をいっていたと思います。

 あとは、キヨ(清武弘嗣)ですね。あの頃のキヨはヤバかったです。

 すでにドイツで活躍していて、その後にセビージャ(スペイン)に移籍して、加入直後からキレキレでしたしね。もし(サミル・)ナスリがセビージャに加入しなければ、あのままキヨがレギュラーだったと思いますし、そしたらもうワンランク上の選手になっていたと思います」

── ブラジルW杯出場を逃したあと、再びオランダ(ADOデン・ハーグ)に戻ってゴールを量産しました。あの復活劇は、スペインやフィンランドでの経験を生かせたからですか?

「いや、そういうわけでもなくて。少し複雑な話になりますが、実はその要因は別のところにもありまして......」

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 2011年に飛ぶ鳥を落とす勢いで日本代表デビューを果たしたハーフナー・マイク。残念ながら、2014年ブラジルW杯出場は叶わなかったが、その年の夏には念願のラ・リーガ移籍が実現。さらなる飛躍が待っていたと思われたその矢先......。

 いったい、何があったのか。本人も想像だにしなかった想定外の展開が待っていたという。

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