日本代表監督に求められる資質は激変している。森保一監督続投記者会見で感じたこれだけの疑問 (3ページ目)

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by Kyodo News

【コンセプトを提示すべきは技術委員長】

 技術委員長の役割はさらにわかりにくい。反町技術委員長は先述のように、森保監督と2時間、膝をつき合わせて会談したという。続投か否かは、反町技術委員長の意向と深く関係したものと考えられる。代表監督を評価する立場にあるキーマンであることは、会見場のひな壇に会長、代表監督とともに重要人物として座る姿に見て取れる。

 しかし、就任の経緯は不透明だ。4年半前、森保新監督就任会見のひな壇に田嶋会長とともに座っていたのは関塚隆氏だった。それがいつの間にか反町氏に変わった。大事件であるはずだが、なぜか大きな話題にならなかった。公の場で就任会見も行なわれていない。もちろん、関塚氏の退任会見も行なわれていない。なぜ反町氏なのか、なぜ関塚氏ではないのか。それも本来、なぜ森保監督なのかと同じレベルで語られるべき問題である。

 関塚氏の前任は西野朗氏だった。その前は霜田正浩氏で、さらにその前は原氏だった。この過去4人のなかで存在感を最も発揮したのは原氏だろう。代表監督招聘に際し、攻撃的サッカーというコンセプトを掲げて臨んだのである。代表監督を、ひとつの明確なコンセプトを掲げて招聘したことは、日本サッカー史上、これが初めてだった。

 その結果、アルベルト・ザッケローニ、ハビエル・アギーレ、ヴァヒド・ハリルホジッチが日本代表監督に就任した。ザッケローニやハリルホジッチがはたして攻撃的サッカーを実現する監督だったのかどうか、今、振り返れば怪しい限りだが、当時の日本サッカー界にとって、コンセプトを掲げて戦うこと自体、画期的な出来事だった。

 ところが、原氏は先述の会長選挙に敗れると失脚。代表チームへの影響力を失った。その腹心となって働いた霜田氏も同様の身となった。さらに攻撃的サッカーというコンセプトも失われた。その後、就任した西野、森保両監督にその縛りはなかった。西野ジャパンは攻撃的サッカーのコンセプトに収まるサッカーを実践したが、森保ジャパンは、守備的サッカーの色を強く感じさせる、反町技術委員長に言わせれば「フレキシブルなサッカー」でカタールW杯を戦った。

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