日本代表がブラジルW杯で惨敗した理由。平穏すぎたザックジャパンの4年間

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • photo by JMPA

何かが起こるW杯イヤー(5)~2014年
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 2014年ブラジルW杯を目指したザックジャパンは、オシムジャパンと岡田ジャパンが費やしたその前の4年間とは、対照的な姿を描いた。解任騒動などは起きなかった。大きな波風が立つことなく平穏に推移した。

 だが、本大会の結果はグループリーグ最下位だった。初戦でコートジボワールに1-2と逆転負け。続くギリシャ戦には0-0で引き分け。3戦目のコロンビアには1-4で大敗した。見せ場なく、あっさりとW杯の舞台をあとにした。

 エンタメ的にも大きな問題を抱えていた。ドタバタした4年間のほうが結果は出る。監督交代騒動を起こしながらW杯本番でベスト16入りしたその前後の4年間と比べると、ついそう言いたくなる。2022年カタールW杯に向けた4年間の最後の年にあたる現在にも、あてはまる教訓ではないか。その伝でいけば、森保ジャパンの行方が心配になる。騒動なき4年間を案じたくなる。

2010年から4年間、日本代表を率いたアルベルト・ザッケローニ2010年から4年間、日本代表を率いたアルベルト・ザッケローニこの記事に関連する写真を見る アルベルト・ザッケローニは、日本サッカー協会があるコンセプトを打ち出し、それに基づいて招聘した初めての代表監督だった。パウロ・ロベルト・ファルカン、ハンス・オフト、加茂周、岡田武史、フィリップ・トルシエ、ジーコ、イビチャ・オシムという歴代の代表監督とは、その点で決定的な差があった。

 原博実技術委員長(当時)が中心となってリストアップした候補には、ザッケローニのほかに、ハビエル・アギーレ、マヌエル・ペジェグリーニ、エルネスト・バルベルデらの名前が挙がっていた。ザッケローニはつまり、攻撃的サッカーを標榜する監督として選ばれたのだった。

 ザックジャパンはスタートから快調だった。初戦のアルゼンチン戦に1-0で勝利すると、半年後の2011年1月にカタールで開催されたアジアカップで優勝。期待感は一気に膨らんだ。

 ザッケローニは、ウディネーゼというイタリアの地方クラブを、3-4-3という攻撃的な3バックを用いて、セリエA上位に押し上げ、名を上げた。守備的志向の強い監督の割合が高いイタリアにあっては、珍しい存在だった。

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