岡田ジャパン、支持率16%からの大逆転劇。カギは「自己否定」と本田圭佑の登場

  • 杉山茂樹●文 text by Sugiyama Shigeki
  • 岸本勉●写真 photo by Kishimoto Tsutomu

何かが起こるW杯イヤー(4)~2010年
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 2010年南アフリカW杯。いま振り返れば、この大会はいろいろな意味で最もエンタメ性に富んでいた。

 2007年11月。イビチャ・オシム日本代表監督が脳卒中で倒れると、日本サッカー協会は後任に岡田武史氏を選んだ。岡田監督は1998年、フランスW杯予選の最中に解任された加茂周監督の後任として、代表監督に就任。ジョホールバルでイランを倒し、日本をW杯初出場に導いたものの、本大会ではあっさり3連敗を喫していた。

 ドタバタ劇は2度目の在位でも健在だった。

 国内で最後に行なわれた壮行試合、韓国戦に0-2で敗れると、岡田監督は犬飼基昭サッカー協会会長(当時)に、進退伺いを出した。その後、欧州で合宿を張り、練習試合を行ない、コンディションを整えながら南アフリカを目指そうとした岡田ジャパン。その直前に代表監督が辞意を示したとあって、現場は大混乱に陥った。

 ところが翌日になると、岡田監督は一転「あれは真剣に言ったわけではない。冗談だった。これからは口を慎みたい」と撤回する。発言をなかったことにしようとしたため、混乱にいっそう拍車が掛かった。あるポータルサイトのインターネット調査によれば、それまで30%程度あった岡田監督の支持率は、この騒動が起きると16%に半減。岡田ジャパンはボロボロの状態で、欧州を経由して南アフリカに旅立っていった。
 
 2009年6月、ウズベキスタンとのアウェー戦に勝利し、アジア予選を突破。そこまでは特段、大きな問題もなく順調に推移した。ところが2010年、W杯イヤーに入ると事態は急転する。大分で行なわれたベネズエラ戦に0-0で引き分けると、東アジア選手権では3位に沈む。香港には3-0で勝利したが、中国に0-0。韓国には1-3で完敗していた。さらにセルビアの事実上の「C代表」と対戦したホームの親善試合に0-3で完敗すると、岡田監督の支持率は30%に急降下した。

 韓国に0-2で敗れた壮行試合や発言撤回事件を経てさらに低下した支持率は、オーストリアのグラーツで行なわれたイングランド戦、スイスのシオンで行なわれたコートジボワール戦に連敗すると、さらに下落した。

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