世界2位になった第2GKの告白「勝っても負けてもどうでもよかった」 (2ページ目)

  • 佐藤 俊●取材・文 text by Sato Shun
  • 甲斐啓二郎●撮影 photo by Kai Keijiro

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 アジアユースでは正GKの榎本だったが、所属の横浜マリノス(現横浜F・マリノス)に戻れば、公式戦での出場機会はほとんどなかった。チームには、日本代表の正GKも務める川口能活という絶対的な存在がいたからである。

「(所属クラブには)能活さんがいたので、僕はそこを目指していかないといけない。でも現実は、能活さんと競うレベルにもいっていなくて、試合に出られるのはサテライトか、練習試合しかなかったんです。アジアユースで得た課題があったので、『それを何とか克服したい』『さらにうまくなりたい』と思っていたのですが、そのための実戦経験はなかなか積めませんでした。正直、『移籍したほうがいいかな』と思うこともありました。この時は、かなり苦しかったですね」

 榎本にとって、課題を得て、成長できる時期にあったが、マリノスで出場チャンスを得ることは難しかった。そういうなかで、年代別の代表チームでの活動は、当時の榎本にとっては唯一、実戦経験を積み、自分の力を磨き、結果を追求できる場だった。

 それゆえ、ワールドユースは非常に楽しみにしていた。

 だが、ワールドユース出場を決めたあと、A代表のフィリップ・トルシエ監督がU-20日本代表の指揮官も兼任で務めることとなり、榎本を取り巻く環境が一変した。さらに、1999年大会からレギュレーションも変更され、年齢をクリアしていれば複数回出場が可能になったため、前回大会にも出場したFW永井雄一郎とGK南雄太が本大会に臨むメンバーに選出されたのだ。

 トルシエ監督がビデオ映像を見て、すぐさま招集を命じたふたりは、アジアユースを戦ったメンバーを乗り越えて、一気にレギュラー候補となった。

「2月のブルキナファソ&フランス遠征には(南)雄太がいて、これから競争になるだろうし、自分は『もっとやらないといけない』と(気持ちに)火がつきました。自分が(試合に)出られなくなるかもしれなかったんですけど、(南と)勝負するのは楽しみでもあったんです。

 でも(実際は)なかなか勝負させてもらえないというか、ほとんどチャンスを得られないまま(遠征が)終わってしまって......。『なんだよ』って、思っていました」

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