リオ世代の活路。手倉森ジャパンは予選本番で強くなるしかない (3ページ目)

  • 小宮良之●文 text by Komiya Yoshiyuki 長田洋平/アフロスポーツ●写真 photo by AFLO Sports

 選手、人間としてのキャラクターとは、評価点には付けにくいかもしれないが、これが一番欠かせない。

 アトレティコ・マドリードのディエゴ・シメオネ監督は、「Dar la cara」としばしば表現する。「顔を出す」というのが直訳だが、「自分のすることに責任を持つ、問題から逃げない」という意味になる。元日本代表監督のアルベルト・ザッケローニは、「Personalita」(パーソナリティ)という言葉を頻繁に用いた。世界中の指導者が選手にはキャラクター、もしくはパーソナリティを求める。性格、人間性とも訳せるが、それでは意味が希薄か。意訳するなら、「事に挑むときに覚悟を持ってあたれる人、もしくはその覚悟」となる。

「お前ら、ついているもんはついているんだろうな!」

 あのアーセン・ベンゲルでさえ、名古屋グランパス監督時代にそう言って選手の闘争心を鼓舞したという。知将は、最後はメンタルの部分が勝負の行方を左右することを知り抜いていた。そこに真剣勝負の分岐点はある、と。そのストレスを制することができた選手だけがひと回り大きくなれる。男として戦う度胸、と言い換えてもいい。

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