屈辱の北朝鮮戦。一夜明けて選手たちが気づいた「柔軟性」 (2ページ目)

  • 飯尾篤史●文 text by Iio Atsushi  藤田真郷●写真 photo by Fujita Masato

 劣悪なピッチコンディション、酷暑のもとでの大会として思い出されるのは、2007年の東南アジア4ヶ国共催によるアジアカップだ。この大会で日本代表を率いたオシム監督は、中村俊輔、遠藤保仁、中村憲剛というプレーメイカー3人の同時起用に踏み切った。

 ボールを保持することで体力の消耗を可能な限り抑え、逆に、パスで振り回すことで相手から体力を奪い取る――。そんな狙いが、そこにはあった。

 当時、欧州組のなかでこの大会に招集されたのは、中村俊輔と高原直泰のふたりだけ。若いチームだったためにナイーブさをのぞかせ、大会は4位で終えたが、オシムの狙い自体は理にかなったものだった。

 一方、8年後の日本代表は90分間、監督の指示に従い、縦に速い攻撃を繰り出そうとした。その結果、後半に入って「ガス欠」を起こし、パワープレーから2失点を許してしまった。

 ハリルホジッチ監督が強調する「縦に速い攻撃」や、「デュエル(1対1での強さやフィジカルコンタクトの強さ)」は、たしかに日本サッカーに欠けていたものだ。日本が世界の列強を倒すには、身に付けるべきものだという認識に間違いはない。

 だが、日本にとっては、「対世界」の前に、「対アジア」という壁がある。

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