1分でわかる三浦カズ。出場したW杯は何大会?

  • スポルティーバ編集部●文 text by Sportiva

ひと駅コラム「それ、気になってました」 (23)

 4月5日に行なわれたJ2リーグ第6節、横浜FC対ジュビロ磐田戦――。先発で出場した三浦知良は前半14分、右サイドからのクロスに素早く反応し、相手ディフェンダーに競り勝ってヘディングゴールを決めた。自身の持つJリーグ最年長得点記録を更新する、48歳1カ月10日でのゴール。その衝撃的なニュースは日本のみならず、世界中に配信された。

 1967年2月26日生まれの現在48歳。三浦カズが歩んできた軌跡は、近代日本サッカーの歴史そのものと言っても過言ではない。15歳で単身ブラジルに渡り、1986年に名門サンパウロFCと契約。そして1990年、日本のW杯出場に貢献するため帰国を決断し、1993年にJリーグが誕生すると初代MVPを受賞した。1994年にはアジア人初のセリエAプレイヤーとなり、帰国後もJリーグ得点王に輝くなど、日本のエースとして君臨。これまでJ1・J2での通算出場数は500試合を超える。

 一方、日本代表としては、1990年にデビューして1992年のアジアカップ優勝に貢献。アメリカW杯アジア最終予選では、一度もW杯予選で勝てなかった韓国相手に決勝ゴールを決め、値千金の活躍を見せる。しかし、最終戦のイラク戦ではロスタイムに同点にされ、ほぼ手中に収めていたW杯本大会の切符を逃すことになった(ドーハの悲劇)。

 アメリカW杯後、日本代表の監督が代わっても、カズはコンスタントにゴールを決め続けた。フランスW杯アジア1次予選のマカオ戦では6ゴールを挙げ、釜本邦茂に並ぶ日本代表1試合最多得点記録を樹立。その後、日本は最終予選まで駒を進め、最後の出場枠をイランと争うことになった、そして延長の末にイランを破り、日本は悲願のW杯本大会初出場を決定。カズにとって、長年の夢が実現するかに思えた。しかし、大会直前の合宿で岡田武史監督に本大会メンバーからの落選を通告され、苦渋の帰国となった。

 フランスW杯後、しばらくは代表メンバーに招集されなかったが、1999年末から再び呼ばれるようになった。2000年6月に行なわれたハッサン2世国王杯でのジャマイカ戦が、現在のところ最後の出場となっている。

 ところが2012年、カズはフットサルの日本代表に初めて招集される。そして同年11月、タイで行なわれたフットサルW杯に初出場。日本サッカー界を支えてきた三浦知良にとって、初めての"ワールドカップ"となった。

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