ありがとう。GK山郷のぞみの残した「なでしこ精神」 (2ページ目)

  • 早草紀子●取材・文・写真 text&photo by Hayakusa Noriko

 この試合のわずか5日前に山郷は引退を発表した。本当にギリギリまで"引退"という気持ちはなかったという。そのきっかけとなったのは、この2年間ともに戦ってきた松田岳夫監督辞任のニュースだった。強豪である日テレ・ベレーザを始め、東京ヴェルディ1969など男子トップチームの監督を歴任してきた松田監督。澤穂希(INAC神戸)、大儀見優季(チェルシーLFC/イングランド)らも彼の影響を大きく受けた選手たちだ。その松田監督が、今季でチームを去ることになった。この事実が、山郷に改めて"今後"を考えさせた。

「松田さんの指導で、知らなかったことがまだまだあったんだって気づかされた。ボール1個のもらい方で世界は変わるし、仕掛け方も変わる。経験してるって思いがちだけど、自分の経験がすべてだって思えないくらい、(松田さんのサッカーは)面白かった」

 2年間、まだまだ未熟なチームを押し上げようと夢中で取り組んだ。チームもようやくカラーが出始めた矢先のことだった。

「松田さんが辞めるからっていうんじゃない。だけど、自分でじゃあ来季どうするかなって考えたときに、こういうサッカーを知ったから、違う目標ができたというか、指導者に方向を変えてがんばりたいっていう映像が浮かんだ。いいきっかけだったと思う。じゃないと、ずーっとやりたいって思っちゃうから(笑)」

 松田監督も「体力的にも、感覚的にも選手としてまだまだやれる。それでも、これが彼女の決断ですから」と、彼女の意思を尊重した。

 引退を迎えた今、思い起こすこととして山郷が挙げたのが、2004年の"国立の奇跡"と語り継がれるアテネオリンピック予選の北朝鮮戦だ。澤らとともに20代前半という若いチームで臨んだ1999年のワールドカップアメリカ大会。翌年のシドニーオリンピックの予選を兼ねていたワールドカップでグループリーグ敗退に終わった日本は、同時にオリンピック出場権を逃すことになった。当時、日本は不景気まっただ中。マイナースポーツにとってオリンピック出場を逃すことは、とてつもなく大きな痛手となった。日本女子サッカーリーグやチームから次々とスポンサーが撤退し、一時はリーグの存続すら危ぶまれた。

「女子サッカーを自分たちの結果で不況にさせてしまった環境から、もう一回自分たちの力で女子サッカー界を変えたのが(2004年の)北朝鮮との試合だった。純粋に自分たちのしでかしたことの責任を取ろうって本気で取り組んだ時間だった」

 それは今のなでしこジャパンにも通じる精神が育まれた時間でもあった。

2 / 3

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る