高校時代ホームラン0本の小笠原道大が「フルスイング」を武器にプロ球界屈指の強打者になるまで

  • 水道博●文 text y Suido Hiroshi

小笠原道大インタビュー(前編)

 小笠原道大氏はプロでは「バントをしない2番打者」として脚光を浴び、首位打者、本塁打王、打点王のタイトルを獲得するなど、球界屈指の強打者として君臨した。高校時代0本塁打だった小笠原氏はどのようにして超一流へとのし上がっていったのか。

プロ3年目の1999年にバントをしない強打の2番打者としてブレイクした小笠原道大氏 photo by Sankei Visualプロ3年目の1999年にバントをしない強打の2番打者としてブレイクした小笠原道大氏 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【高校時代は本塁打0本】

── 高校時代(暁星国際高)は本塁打0本。小笠原さんが現実のものとしてプロを意識したのはいつですか?

小笠原 プロ野球選手になりたいという「夢」や「憧れ」は、野球を始めた小学生の頃から抱いていました。現実的には、高校を卒業して、社会人4年目の時「指名されるかもしれない」という評価をいただきました。結局、その年は指名されなかったのですが、「来年こそ絶対にプロに行くぞ!」と、明確にプロを意識しました。社会人5年目で日本ハムに指名され、プロでのルーキーシーズンは24歳。ラストチャンスの覚悟でした。

── NTT関東(現・NTT東日本)から新日鐵君津(現・日本製鉄かずさマジック)の補強選手として都市対抗野球でアピール。そしてプロ入りを果たしました。

小笠原 私がいた頃の社会人野球は、腕力だけでホームランになる金属バットの時代でした。その弊害か、プロ1年目の春季キャンプで手打ちのクセが抜けず、打球が内野の芝生を越えませんでした。社会人出のドラフト3位、背番号も1ケタ(2番)......周囲の期待のなか、焦りはありました。

── 当時コーチだった加藤英司さんの指導が大きかったと聞きました。

小笠原 加藤コーチは2週間好きなように打たせてくれたあと、アドバイスをしてくれました。「しっかりとコンパクトにバットを振り切りなさい。ミート時に球を押し込みなさい」と。それからバットの先であっても根元であっても、スイングを緩めないでフィニッシュまで振り切るように練習しました。

── それが小笠原さんの代名詞となる「フルスイング」、バットをゆったり大きく構える「神主打法」の始まりなのですね。

小笠原 いえ、神主打法については、徐々にああいう形になっていきました。ただ、1998年まで2年間一緒にプレーした落合(博満)さんの打撃フォームの影響も多少あったかもしれません。大きく構えるようになったのは、2000年ぐらいからです。

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