「受験番号22174をマークせよ」 江川卓の慶應大受験は前代未聞の報道合戦の末、まさかの結末を迎えた

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

連載 怪物・江川卓伝〜いざ大学受験へ(後編)

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 以前、江川卓にこんな質問をしたことがある。

── 自分が想像している以上の存在感と言動によって、周りが勝手に動いてしまうことについてどう思うか?

 江川は苦笑いしながらも、こう答えた。

「自分の発言が切り取られてしまい、ニュアンスが変わってしまうことに戸惑いを感じていました」

 江川という存在は、言うなれば太陽だった。強烈に照らす光を求めて人々が集まってくる。ただ、常夏の太陽のようにいつも燦々と輝くのではなく、時に雲に覆われてしまう。それは進路という分岐点になると必ず大人たちが介在し、本人の意思とは関係なく周りに影響を与えてしまう。

慶應大を不合格となった江川卓は法政大の二部を受験し合格を勝ちとった photo by Sankei Visual慶應大を不合格となった江川卓は法政大の二部を受験し合格を勝ちとった photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【埼玉の高校を受験するつもりだった】

 高校進学の際も、中学3年時に静岡の佐久間中学から栃木の小山中学に転校し、二度のノーヒット・ノーラン、栃木県中学体育総合野球大会で優勝し、関東近郊の強豪校が我先にと獲得に走った。

 当時、日大三高の監督を務めていた萩原宏久は、江川勧誘についてこう証言する。

「日大の学生がたまたま小山中の指導に行って、帰ってきた時に私に言うんです。『小山中にすごいのがいますよ』と。それで秋季大会の合間に行って、グラウンドの外から見たんです。投げる姿は見れなかったのですが、体つきはいいし、動きも俊敏で、一瞬でモノが違うと感じました。それですぐ勧誘に行こうとしたら、日大の河内(忠吾)監督から『江川は小山高校に行くから』と言われ、一度は断念したんです。そしたら年明けに、江川の父が埼玉あたりで高校を探しているという情報が入ったので、部長と一緒に江川の家にすっ飛んで行ったんです」

 父は仕事の関係で出張に出ており、江川と母が対応した。

「江川くんが『日大三高から早稲田大に行くことができるでしょうか?』としっかりした口調で言うんです。私も確約はできないから『早稲田はルートがないから何とも言えないが、法政なら』と答えると、『法政ですか......』とじっとこっちを見つめて言いました。もっと積極的に勧誘していればと思いました。もし彼が入っていたら、日大三高の歴史は変わっただろうし、私だってどうなっていたのか......」

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