山本由伸のプロ2年目、自主トレを見た関係者が「変な投げ方を練習している」... その時、投手コーチの高山郁夫は? (3ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

── いきなり技術指導をすることはないのですね。

高山 向こうもコーチを観察していますから。コミュニケーションは絶対に必要だと感じます。由伸には「すばらしいボールを放るなぁ」と言っていましたよ(笑)。

── コミュニケーションをとるなかで、山本投手からSOSを発することはあったのでしょうか?

高山 ありません。あの子は絶対に弱音を吐かないんです。かといって、「自分のことは放っておいてくれ」というような変わり者の一匹狼タイプでもない。自然体で明るく、周囲とコミュニケーションがとれて、模範的な対応ができる選手でした。言い訳や人の悪口も聞いたことがありません。

【ヒジに負担のかからない投げ方を模索】

── プロ2年目以降の山本投手は順調に階段を上ったように見えましたが、実際はどうだったのでしょうか?

高山 2年目の春季キャンプに入る前、由伸の自主トレを見た関係者から「変な投げ方を練習している」と聞いたんです。室内練習場でこっそりと、やり投げみたいな投げ方で練習していると。

── 高山さんの目には、どう映ったのですか?

高山 遠投を見たら、トップをとらずに左肩を開いて右腕を真っすぐに伸ばす投げ方になっていました。強いスライス回転のかかったボールを投げていましたね。

── 前年の秋季キャンプでは、腕の振りはまったく問題なかったわけですよね。いきなり腕の振りが変わっていたら、コーチとして面食らったのではないでしょうか。

高山 心配だったのは肩・ヒジの故障でした。いつか肩・ヒジをケガする前に言ってやらないと......という思いはありました。周りもそう思っていたはずです。

── 実際に本人に指摘はしたのですか?

高山 何日かして、「肩、ヒジはどうだ?」と尋ねました。すると由伸は、自分が思い描いている投げ方へと変えている途中なんだということを説明してくれました。完成するまでの間、見守ってほしいというニュアンスを感じました。

── 本人のなかで、はっきりとした考えがあったと。

高山 由伸はプロ1年目にスライダーが得意だったのですが、一度登板すると10日間くらい空けないとヒジのダメージが回復しないという課題がありました。その問題を補うために、ヒジに負担のかからない投げ方を模索し始めていたんです。

第2回につづく>>


高山郁夫(たかやま・いくお)/1962年9月8日、秋田県生まれ。秋田商からプリンスホテルを経て、84年のドラフト会議で西武から3位指名を受けて入団。89年はローテーション投手として5勝をマーク。91年に広島にトレード、95年にダイエー(現ソフトバンク)に移籍し、96年に現役を引退した。引退後は東京の不動産会社に勤務し、その傍ら少年野球の指導を行なっていた。05年に四国ILの愛媛マンダリンパイレーツの投手コーチに就任。その後、ソフトバンク(06〜13年)、オリックス(14〜15年、18〜23年)、中日(16〜17年)のコーチを歴任。2024年2月に「学生野球資格」を取得した

プロフィール

  • 菊地高弘

    菊地高弘 (きくち・たかひろ)

    1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。

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