早稲田大を蹴ってドラフト6位で大洋入り 屋鋪要が明かす「スーパーカートリオ」命名秘話「長嶋さんが......」 (4ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── 今だからこそ話せる大胆な行動ですね。

屋鋪 紹興酒を1本ご馳走になりました(笑)。結果的に、大洋時代の16年間でAクラスは3度だけ。巨人のお得意さんになって「横浜大洋銀行」と揶揄された時期もありました。相手チームの胴上げを目の前で見るのは、悔しかったです。もともと私は阪神ファンでしたが、プロ野球選手として巨人に行って優勝を味わいたかった。タイトルは個人の勲章ですが、最終目標はやはりチームの優勝ですから。そのオフ、トレードが水面下で画策されていたようですが、『槙原寛己と屋鋪がトレード』と新聞にすっぱ抜かれて、トレードはご破算になりました。

── 93年オフに横浜を自由契約になり、94年は巨人でプレーすることになります。長嶋茂雄監督初の日本一に貢献されました。

屋鋪 優勝の美酒の味は最高でした。もう少し早く、巨人に行きたかったです。

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屋鋪要(やしき・かなめ)/1959年6月11日、大阪府生まれ。三田学園高(兵庫)から77年のドラフトで大洋(現・DeNA)から6位指名を受けて入団。高木豊、加藤博一とともに「スーパーカートリオ」として活躍。84年から5年連続でゴールデングラブ賞を獲得し、86年から88年まで3年連続盗塁王に輝く。94年から2年間巨人でプレーし、95年に現役引退。引退後は巨人のコーチ、解説者、野球教室など精力的に活動し、2020年から社会人軟式野球の監督を務めている。鉄道写真家としても活躍している

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