斎藤佑樹は623日ぶり勝利に「うれしいです......いや、うれしくはないですけど、すいませんでした」 (4ページ目)

  • 石田雄太●文 text by Ishida Yuta

【プロでの最後の勝ち星】

 振り返れば、この勝利は僕のプロでの最後の勝ち星でした。いま思えば"悔しもったいない"という感じです。あの時の感覚はすごくよかったし、あのスタイルを続けていけば、負けはもちろんあったと思いますが、勝つ可能性もたくさんあったと信じています。それを続けることができなかった......。

 ベイスターズに勝ったあと、中6日でカープ戦に先発したんですが、勝つことができませんでした。内容もよくなくて(4回途中までに8本のヒットを打たれて5失点)、それでもベイスターズとの試合で勝ちがついたおかげで、もう一度、先発のチャンスをもらいました。それがドラゴンズ戦(6月14日、ナゴヤドーム)です。

 立ち上がりがうまくいかなくて、満塁から2本の二塁打(アレックス・ゲレーロにツーシーム、藤井淳志にフォーク)を打たれて、4点を取られてしまいます。でも2回からリズムを取り戻して、5回までの4イニングをすべて三者凡退に抑えました。6回にはチームも追いついて、僕の負けを消してくれました。

 交流戦の3試合に先発して1勝1敗......その3試合目は1回に4点を取られましたが、その後は試合を壊さずに踏ん張って、打線のおかげで辛うじて試合をつくることができました。となれば、もう一度チャンスがほしい。でも、斎藤佑樹を軸に考えると「もう一度」と思いますが、今、こういう立場で野球を観ていたら、斎藤佑樹より使いやすいピッチャーはたくさんいるよなって思います(笑)。

 だから栗山(英樹)監督も限界だったと思うんです。栗山監督は野球人として長い目で見て、野球界のために斎藤佑樹を何とかしたいと考えてくれていたと思います。でも監督としては選手たちの人生もあるし、絶対に優勝したい。僕という存在を前に、どっちを取るべきかという葛藤はもしかしたらずっとあったのかもしれません。でも、そういうことって、今になってやっとわかることなんですけどね(苦笑)。

*     *     *     *     *

 実績のないピッチャーはたまに巡ってくるチャンスで結果を残せなければ、次がない。常に1分の1を求められる。しかしその1試合で結果を残せば、さらに2試合のチャンスが生まれる。そのどちらかで勝てば、3分の2になる。しかし、常に3分の2を出し続ければ30試合で20勝、エース級だ。ならば初回に4点を失って2回から立ち直り、5回まで投げて試合をつくったピッチングを白とするか黒とするか──栗山監督はこの結果を黒とした。交流戦を終えて二軍に落ちた斎藤は、この後、プロで勝つことはできなかった。

次回へ続く


斎藤佑樹(さいとう・ゆうき)/1988年6月6日、群馬県生まれ。早稲田実高では3年時に春夏連続して甲子園に出場。夏は決勝で駒大苫小牧との延長15回引き分け再試合の末に優勝。「ハンカチ王子」として一世を風靡する。高校卒業後は早稲田大に進学し、通算31勝をマーク。10年ドラフト1位で日本ハムに入団。1年目から6勝をマークし、2年目には開幕投手を任される。その後はたび重なるケガに悩まされ本来の投球ができず、21年に現役引退を発表。現在は「株式会社 斎藤佑樹」の代表取締役社長として野球の未来づくりを中心に精力的に活動している

プロフィール

  • 石田雄太

    石田雄太 (いしだゆうた)

    1964年生まれ、愛知県出身。青山学院大卒業後、NHKに入局し、「サンデースポーツ」などのディレクターを努める。1992年にNHKを退職し独立。『Number』『web Sportiva』を中心とした執筆活動とともに、スポーツ番組の構成・演出も行なっている。『桑田真澄 ピッチャーズバイブル』(集英社)『イチローイズム』(集英社)『大谷翔平 野球翔年Ⅰ日本編 2013-2018』(文藝春秋)など著者多数。

4 / 4

関連記事

キーワード

このページのトップに戻る