北條史也が振り返る阪神時代の苦悩の11年 「プロに入って1、2年目でホームランはあきらめた」 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

── あきらめた?

北條 木のバットに変わったことと、体がプロの先輩と全然違いました。打球が飛ばなくなって、毎日練習や試合があるなかで体力的に劣ることも痛感しました。疲れると余計に飛ばなくなるし、「(ホームランを)狙っても打たれへんな」という気持ちに変わっていきました。そこで打率を残せる、嫌らしいバッターになっていこうと考えるようになりました。

【「坂本二世」と呼ばれることはうれしかった】

── 高校の大先輩である坂本勇人選手と同じショートだったことから、「坂本二世」と呼ばれることもありました。この評価は重荷だったのでしょうか?

北條 いえ、うれしかったですよ。坂本さんには憧れもありますし、自分のなかで思い描く理想に一番近い存在でしたから。ああいうふうになりたかったですよね。

── 同じプロの世界に立ってみて、坂本選手の偉大さをより実感したのでは?

北條 しました。まず、ケガをなかなかしない。僕はいろんなケガをしましたけど、坂本さんはショートで歴代最多の試合数に出続けていたじゃないですか。ただ成績を残すだけじゃなくて、体の強さもすごかったですね。

── オフには坂本選手の自主トレに参加していましたね。

北條 一緒にやらせてもらって、これだけの人が僕より向上心を持っているのか......と思い知らされました。結果を残していても満足せず、人の意見をめっちゃ聞いているんです。あらためてすごさを感じました。

── 北條選手はもともと努力型というか、高校時代もひとつの技術を覚えるのに猛烈な練習量を通して習得していたそうですね。

北條 はい。調子の波が結構激しかったです。

── 一方、同期の田村龍弘選手は天才型でしょうか。

北條 田村は練習を全然しないんですよ(笑)。人前ではやらないだけかもしれませんが、テキトウなところがあります。でも、試合になれば必ず打つし、相手の裏をかくリードができる。センスがずば抜けていました。田村と出会ったのは小学生の時なんですけど、すごすぎてずっと負けていると思っていました。僕は「努力しよう」と思って練習してきたんじゃなくて、「田村に負けているならやるしかない」と思って練習してきました。田村がいなかったら、プロにも入れてなかったと思います。

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