「台湾の打撃王」が巨人・岡本和真との再会に興奮 かつて甲子園を目指した梁家榮の次なる夢 (2ページ目)

  • 阿佐智●文 text by Asa Satoshi

 梁は野球を始めると、すぐにチームで1、2を争う選手になった。選抜チームに選ばれ、憧れの日本の地も踏んだ。その時、初めて日本のプロ野球を観戦したのだが、場所は巨人の本拠地・東京ドームではなく、ナゴヤドーム(現・バンテリンドーム)だった。対戦相手や試合内容はまったく覚えていないというが、球場内が商店街みたいだったことと、空調が効いていたことは忘れないと笑う。

「通路にお店が並んでいて、こんな涼しい球場があるなんて......びっくりしました」

【甲子園を目指し高知中央に進学】

 中学に進み、高校進学を考える頃になると、日本行きが現実の目標として浮かんできた。これは台湾の野球エリートが通る道である。

 梁が進学先に選んだのは、学校改革の一環でスポーツに力を入れ始めた高知中央高だった。明徳義塾や高知、高知商といった強豪校があるなかで、あえて新興校に進むことに父は顔をしかめたそうだが、チームの先輩がいたこと、また留学生を積極的に受け入れていたことが決め手となった。その先に、日本のプロ野球選手になるという夢があったのは言うまでもない。

 とはいえ、その先輩はすでに学校を去っており、留学生がいるとはいえ台湾人は梁ひとり。なかなか日本語も身につかず、ホームシックにもなった。

「最初は"ワカリマセン"しか言えませんでした。授業も、スウガク、ニホンシ、セカイシ......先生が黒板に書いても、さっぱりわかりませんでした」

 それでも放課後のグラウンドは梁の独壇場で、入学後はすぐにレギュラーポジションを獲得した。しかし"野球王国"高知の壁は厚く、甲子園出場は果たせなかった。

 2年生が終わると、梁は台湾に帰ることにした。日本と台湾では、学校のスケジュールが違う。そのまま日本に居続けると、8月の学年終了に合わせて7月にドラフトを行なう台湾では、空白期間が生じてしまう。要するに、高校卒業後の進路を考えた時、梁の手に届く「プロ野球」は日本ではなく台湾だと自覚するようになった。

 帰国後、高苑工商に転校すると、2013年ドラフトでラミゴ・モンキーズから1位指名を受け、プロ入りを果たすことになる。

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