侍ジャパン初選出の中日・松山晋也が躍動 ターニングポイントは大学時、監督から「練習量が足りない」と言われ急成長 (2ページ目)

  • 菊地高弘●文 text by Kikuchi Takahiro

【すごいなと思ったのは山下舜平大】

 松山を知る者からすると、短期間での急激な状況の変化に頭がついてこないというのが本音だ。だが、松山本人は見る者の感傷など置き去りにして、ただひたすら前を向き、今を生きている。

 松山の言葉を聞いて、大学4年秋のドラフト会議直前の様子を思い出した。「世界が変わってきたんじゃないですか?」という質問に、松山はこう答えたのだ。

「いや、世界が変わってきた感じはないですね。いつもどおりやってきたら、結果が出ていた感じで。特別なものはなく、いつもどおりです」

 泰然とした口ぶりに大物感が漂っていた。身長188センチ、体重92キロという巨体に大学まで青森県で生まれ育った生育環境から、のんびりとした人物像を思い描いていたが実像は違った。松山は対戦相手の男子マネージャーともすぐに仲良くなれるくらい、社交性に長けた人間だった。

 松山の「いつも」が変わったのは、大学3年秋のことだった。くすぶる日々を過ごすなか、正村公弘監督(現・亜細亜大)から「練習量が足りない」と発破をかけられて奮起した。

「最初は反骨心というか、『監督に勝つ』くらいの意識で、とにかく投げ込んでいました。そこでケガをしたらそこまでだと。絶対に負けたくなかったんです」

 投げ込み、体のケア、すべてにおいて時間をかけて取り組み、大学時点で最速154キロの剛速球を手に入れた。「全身を釣り竿のようにしならせるイメージ」と語ったように、ダイナミックな投球フォームは見る者にロマンを感じさせた。

 一方、正村監督も松山の潜在能力を認めていた。

「プロに巣立った教え子のなかでも、高橋優貴(巨人)や大道温貴(広島)が3000CCの排気量だとしたら、松山は6000〜7000CCのエンジンを積んでいますから。体が使い減りしていないのも魅力ですよね」

 この2年間の劇的な出世ぶりを見たら、十分に立派だと言いたくなる。それでも本人は現状に甘んじることなく、次の一歩を踏み出している。

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