江川卓の心身疲労、出場校中最低のチーム打率、仲間との亀裂...大本命・作新学院の大きすぎる不安要素 (3ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

 センバツ初戦の北陽との試合では、5番打者までひとりもバットに当てさせなかった江川だったが、いきなりトップバッターがいい当たりのライトライナー。春のセンバツとは違う試合模様を予感させるには、十分な一打だった。

 この試合、柳川商打線はバントの構えからヒッティングに出る、いわゆる"バスター打法"で江川を苦しめる。

 このバスター打法は、大振りにならずコンパクトにバットが出るため、速球派の投手相手に効果的な打法である。福田は、三池工業高の監督であった原貢と懇意にしており、いろいろ野球を教わった。このバスター打法も、原から教えてもらったものだ。

 作新との対戦が決まった日、福田はバスター打法でいくことをナインに告げる。とにかく試合当日までの短期間で、バスター打法をマスターすることに全力を注いだ。

 のちに法政大で一緒にプレーすることになる柳川商の4番・徳永利美は言う。

「私だけバットを少し余らせて普通に打っていました。最初の打席は3球三振。普通のピッチャーより角度があるから、ホップしているように見えました。とくに目の高さのボールは打てそうな感じがするんだけど、まったく当たらない。しかも真っすぐしか狙っていなかったので、カーブが来たら打てません。そのカーブのキレもすごかったです。マウンドでの江川は大きく見えましたね」

 この日、全国の電力消費量は普段より約78万5000kwオーバーの新記録。江川が登板するということで、テレビの消費電力が著しく上がったためと言われている。関西電力は大手企業に節電を協力してもらい、なんとか停電は免れた。

 この試合、序盤はストレートが多かった。5回まで10三振と、数だけみれば普段と変わらない、いつもの江川だ。だが、4回には約9カ月ぶりに連打を許すなど、この日の江川はどこかおかしかった......。

(文中敬称略)

後編につづく>>


江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している

プロフィール

  • 松永多佳倫

    松永多佳倫 (まつなが・たかりん)

    1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。

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