阪神タイガース史上最大のミステリー プロ野球経験のない謎の老人監督・岸一郎の正体 (2ページ目)

  • 村瀬秀信●文 text by Murase Hidenobu

 一方で、ベテランには実績の如何に関わらず「結果を残さなければ使わない」と通達する強気の姿勢を見せる。それはタイガースの大スター藤村富美男も例外ではなく、「たとえ藤村くんでも当たらずと見ればベンチに置きますよ」「これからは4番を打てる若い打者を発掘し"芯のある打線"を構築したい」と怯まなかった。

 しかし、なぜプロ野球経験のないおじいさんが、歴戦の猛虎たちを相手にここまで強気になれたのか。その謎は岸の就任後、彼の正体を知る野球界の長老たちの言葉から明らかにされていく。

 のちのパ・リーグ初代会長の中澤不二雄は言う。

「早稲田大、満洲倶楽部と通じて、長身、痩身、全身これバネといった左腕投手。かつてアガッたことがないという度胸に、すばらしい球速、鋭く大きく落ちるドロップ、これを正確無比なコントロールで、昭和初年までの5大投手のひとりとして完成したピッチングを見せてくれた」

 さらに日本プロ野球の創立に尽力した市岡忠男は、早稲田大学時代に岸一郎とバッテリーを組んでいた。

「早大時代は後年の沢村栄治に匹敵する投手であり、満洲の野球が強くなったことにも岸くんの力は大きく貢献している。野球に対する知識も情熱も人後に落ちず」
 
 老人の正体は、大正時代の大学野球、そして満洲野球で大活躍を果たしたあの沢村栄治にすら比肩する伝説の左腕投手だった。

【前代未聞の交代拒否事件】

 しかし30年前大正時代のスーパースターが、近代野球に蘇ったとしても浦島太郎と同じ。

 タイガースの歴戦の猛虎たちにも、プロの世界で鎬(しのぎ)を削って生きてきた意地があった。若手への切り替えを断行しようとする岸に対し、簡単には引き下がらない。

 なかでも象徴的存在が、絶大なるショーマンシップで観客を沸かし続けてきたタイガースのスーパースター藤村富美男。就任当初は助監督として岸を支える姿勢を見せていたが、結果が出なければメンバーから外そうと虎視眈々と狙う岸老人に対し、徐々に反発心を見せていく。

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