江川卓の甲子園デビューは前代未聞の圧巻奪三振ショー「バットに当たっただけで拍手喝采」 (3ページ目)

  • 松永多佳倫●文 text by Matsunaga Takarin

【高校ナンバーワン捕手の証言】

 ここではっきりさせておきたいのが、江川が本当の意味で絶好調だったのは前年秋の関東大会であり、このセンバツは決して本調子ではなかったということだ。それでも優勝候補相手にあれだけのピッチングをするのだから、怪物なのだ。

 じつはセンバツ大会の開幕前、江川伝説はすでに始まっていた。開幕2日前の3月25日、滝川高のグラウンドで練習した時のことだ。当時、滝川高には高校ナンバーワン捕手との呼び声が高い中尾孝義がいた。

 中尾はのちに大学(専修大)、プロ(中日)でも江川と対戦し、1982年のオールスターでは江川とバッテリーを組んで8連続三振を演出した。そんな中尾が高校時代の江川について、こんなエピソードを語ってくれた。

「センバツ前、作新が滝川高校のグラウンドに練習しに来たんです。その時、ひと回りだけ江川が投げるシートバッティングをしたんです。まあすごかったですよ。1球目はストレートを空振り、2球目もストレートを空振り、3球目は『わぁ、頭に当たる』と思ったらストンと落ちるカーブで見逃し三振。結局9人中8人が三振で、ひとりがボテボテの内野ゴロ。ウチのエースなんて『オレたちがやってきた野球は何だったんだ?』って真剣に悩んでいました。

 あと驚いたのは遠投ですよ。ファースト付近からレフトに向かった80〜90メートルほどの遠投をするんですけど、低い弾道のままボールが落ちてこないんです。もうレベルが違いすぎました。大学、プロでも対戦しましたが、高校時代のインパクトには度肝を抜かれました。82年のオールスターで江川の球を受けましたが、高校で初めてバッターボックスから見た球のほうが数段上でした。あとから作新のキャッチャーに、シートバッティングだから本気で投げていないと言われて、さらにショックを受けましたね」

 そしてその頃から、「沢村栄治2世」「スーパー投手」「右の江夏豊」「パーフェクト・ボーイ」......といったように、いろいろな形容詞が江川につけられるようになる。江川卓というキャラクターが、自分の意思とは別に勝手にひとり歩きし始めた瞬間だった。

(文中敬称略)

後編につづく>>


江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している

プロフィール

  • 松永多佳倫

    松永多佳倫 (まつなが・たかりん)

    1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。

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